# 「世界」とは何か

https://www.youtube.com/watch?v=rgCAhWeptRM

[00:22] え、本日はお忙しい中お集まりいただき
[00:25] ましてありがとうございます。
[00:29] え、ただ今から東京カレジシンポジウム、世界とは
[00:32] 何か?歴史、宗教、哲学、文学を、え、
[00:37] スラッシュから考え直すを開催いたします
[00:41] え、私は本日司会を務めます総合文化
[00:45] 研究家、え、共養学部の伊達信と申します
[00:49] え、フランス語の政治と宗教を中心に
[00:53] 研究しています。
[00:55] 本日はよろしくお願いいたします。
[00:57] さて、え、本日のシンポジウムのタイトル
[01:00] は世界とは何かです。
[01:05] え、非常に旧壮大な問いで、え、あまりに、え、漠然として
[01:08] いるようでもあります。
[01:12] 私たちは、あの、普段の生活ではもうちょっと具体的な、え
[01:15] 目の前のことにかけていて、え、
[01:17] なかなか世界という広い視野で物を見渡す
[01:21] のは難しいかもしれません。
[01:21] しかし、一歩
[01:25] 立ち止まって足元を、え、見つめ直してみれば世界は他ならぬ日常生活の中に移し出されているとも言えます。
[01:36] え、それこそ日本のサブカルチャーでは、え、世界系という、ま、言葉があって、この場合の世
[01:41] 界っていうのはカタカナで、え、書くわけですが、あの、物語の主人公が、え、身の回りの、え、出来事が、え、突然その地球の危機とか、え、この世の終わりなど壮大なスケールの話に、ま、繋がって、あの、しまう、え、そういうこと、ま、世界系と言ったりするわけですね。
[01:59] え、いずれにしても私たちは、え、グローバル化が進み、え、技術が発展し、多くの事柄が解明されながらも、え、ますます不透明さまし、え、倫理的に正しい基準もよく分からなくなっていく、え、そんなあの時代の社会を、え、生きてる。
[02:17] え、そうそういう私たちには、え、やはり世界の展望に立って私たちが取り組んでいるA意を
[02:28] 見つめ直し、え、考え直す作業が、え、欠かせないのではないでしょうか。
[02:34] 本日のシンポジウムは、あ、東京カレジによるものです。
[02:38] 東京カレジにつきましては、え、彼長の羽田先生からもこの後説明があるかもしれませんが、え、卓越した国内外の研究者が、え、分野を超えて切磋琢磨する場を作り、え、その成果を広く国内外へ発信して、え、地球と人類社会の未来に貢献する地の世界拠点を作るというのが、あの、目的になっています。
[03:05] その試みを、え、1つ具体的にやってみようというのが今日のシンポジウムです。
[03:10] 今回は哲学、歴史学、文学、え、宗教学、そして、え、東大所属の、え、日本人研究者ということになりますが、え、それぞれの学問分野において世界とは何なのか、え、これらのディシプリにとって世界の観点に立つことの意義はどんな点に
[03:30] あるのか。
[03:34] 過去の試みに問題点があったとしたら、え、それは何か?
[03:36] え、その問題点は今日どのように克服できるのか。
[03:40] 世界を分析枠組とすることでどのような人文学の未来を切り開くことができるのか
[03:46] え、それについて意見交換を行うことによって、え、世界という観点から各ディシリンを考え直してみる、あるいは世界を人文学の複数のディシプンから、え、考え直してみようと、え、いうわけです。
[04:04] え、今日の会の進行ですが、あの、テーマの大きさにして、え、時間が限られています。
[04:10] 4人のパネリストの先生方にまずそれぞれのディシプルにとっての世界とは何か、え、それをどう語り直したら良いのかということにつきまして、え、10分から15分程度、え、お話しいただきます。
[04:23] その後一旦休憩を取ります。
[04:27] え、この時、え、会場の係が皆さんから質問表を集め
[04:31] ますので、え、質問がある方は質問表に記入してください。
[04:34] え、休憩後の第2ラウンドは互いの報告へのコメントや質問をもに、え、議論を深めます。
[04:38] え、会場から寄せられた質問やコメントと重なるテーマにつきましては随時折り混ぜていくつもりですけれども、そちらでうまく拾えなかった、え、重要なあの質問などは最後の、え、15分から20分ぐらいなりますでしょうか?
[04:57] え、取り上げることができればと思ってます。
[04:59] え、基本的には、あの、質問表に書いていただいたものからということになりますので、え、質問がある方は、あの、休憩中に提出していただきますよう、あの、お願いいたします。
[05:11] え、さて、これからパネリストの先生方の1周目の発題ということになりますが、あ、聞きどは、あの、それぞれのディシプリンに世界を関した時の言葉の響きの、え、類似と際であるかと思います。
[05:23] え、世界哲学、世界歴史とはあまり言いませんね。
[05:28] え、世界一、え、世界文学、
[05:33] 世界宗教、え、このうち高校で教えられて大学の入試科目にもなっているのは世界史だけです。
[05:40] 世界哲学の、え、名称は比較的新しい印象があります。
[05:45] え、世界文学は比較的前からある言葉ですけど、ま、最近はまたあの世界文学の可能性と、え、あの以前とちょっと違った意味で語られるようになってきてる気がします。
[06:00] あの、世界文学の可能性っていうのはなんかこうポジティブに語ることができると思うんですね。
[06:04] 文学研究者が。
[06:06] ただあの同じようなノりで世界宗教の可能性について語る宗教学者ってそんなにいないような気もいたします。
[06:11] え、その辺りのこう、え、分野ごとの違いがあるかと思います。
[06:14] え、日本語の世界と西洋後あるいはその他の言語の世界の重なりと際にもあの注目したいところです。
[06:23] え、世界とワールド、グローバル、インターナショナル、ユニバーサルの関係。
[06:27] え、それから世界と
[06:33] ついになる言葉は何か？
[06:36] え、日本なのか、え、どうなのか。
[06:39] え、パネリストの先生方はこれら世界史、世界哲学、世界文学、世界宗教といった言葉の概念の来歴と現状を、え、それぞれのディシプルに即して説明しながら、え、議論を展開してくださるものと思います。
[06:51] え、最初のあのパネリストはあの羽田正先生です。
[06:55] 東京大学執行役副長で、え、当文献所長東大理事副長を、え、歴任と、あの、今年2月に解説された東京カレジのカレジ長でもあります。
[07:09] え、ご専門は世界史歴史学ということで、ま、これまでの研究は、あのイラン研究からあの出発なされまして、え、海の世界史、え、宗教と世族家、え、新しい世界史と、え、ま、あのスケールもあの非常に大きな研究を、え、なさってきておられまして、え、ま、主要著作の中にはイスラム世界の創像、え、それから新しい世界指、あの、これはあの岩波新
[07:35] から出てるんですが、これをあの、より、
[07:37] ま、具体的に発展した、え、グローバと世界というのを、え、
[07:42] 2018年東大出版会から、え、出しておられます。
[07:42] それでは、あの、羽田先生お願いいたします。
[07:42] ただいまご紹介いただきました羽田です。
[07:42] どうぞよろしくお願いします。
[07:42] 最初にちょっと一言だけ東京彼のカ長としての挨拶、これは、ま、手慣れておりますので一言だけさせていつもはあのこの挨拶だけであの退場するのですけれども、
[08:06] 今日はあの私自身があの、え、発言者にもなっておりますので、2つの役割れを背負っことになります。
[08:09] あの、今伊達先生の方から丁寧にご説明いただきましたように、東京カレジというのは、あの、基本的には海外の研究者と、
[08:17] それからその東大をはめとするあの日本の研究者との間でのその議論があるいは共同研究が活発に行われるようになるために、
[08:28] ま、存在しているというものでありまして
[08:30] 決してあの日本の研究者の間だけで議論をするということに満足してるわけではございません。
[08:35] で、しかし後でちょっと
[08:38] 申し上げますように、あの今回に関しましてはまずその日本の研究者の間であの共通のお、え、認識というんですかね、共通の何らかのその議論の土台を作ることは必要じゃないかなという風に考えまして、まずその日本の研究者の間で議論してみようという風に考えました。
[09:00] で、ま、あの、私カ長ですので、ま、このシンポジウムについては、あの、私の方でイニシアティブを取って先生方にお願いをして、あの、え、ご協力いただくという形になっております。
[09:12] で、しかし決してここで終わるわけではなくて、ここで、ま、1回で共通理解ができたり、1回で何らかのその共同研究ができるのか分かりませんけれども、ま、これを土台にして海外の研究者たちと、あの、それぞれの分野で、そして行くゆくは全体についてあの、ディスカッションをする機会、そしてさらにはそっからいろんな成果を生み出していくってことを考えていきたいという風に思っております。
[09:34] ということで、あの、私はあの問題定期
[09:38] もえ、兼ねておりますので、ちょっと他の先生方より5分だけたくさん時間をいただいて15分間お話をさせていただきたいと思います。
[09:45] で、あの2050年の人学というのが、え、東京カレジの4つの主要テーマのうちの1つでありまして、え、ま、これについて考えてみようというのはこのシンポジウムの趣旨であります。
[09:57] で、そもそもじゃあ人学っては何かということでも、ま、ここに書きましたようなものではないかと。
[10:03] これなかなかそう簡単に説明できないんですけど、キーワードはやっぱり言葉じゃないかなと思っております。
[10:08] 言葉を用いて説明する。
[10:10] 言葉で理解することがまず人文学の1番重要なポイントであると。
[10:16] そうしますと、しかし、あの、問題が2つありまして、あの、私たち、ま、日本語で話をしていますけれども、例えば、あの、英語あるいは中国語、そういった言葉で話をした場合、同じように、え、物事は理解し、同じように理解であの、議論できんのか、そうじゃないだろう。
[10:33] で、そうした場合にその世界全体であの、共通の人文学ってのは
[10:38] あり得うるのかということを、ま、考えないといけないだろうなってのが1点です。
[10:41] それからもう1点は、あの、えっと、利かけの今日も利かけの先生方もこんな中にいらっしゃるんですけれども、え、分野では、ま、こういう風に言うとひょっとするとそんなことはないとしかあるかもしれません。
[10:52] 基本的には数字と記号というものが非常に重要で、これは世界共通なわけですけれども、これを用いて、え、ま、世界で起こってる、あるいは宇宙で起こってる現象を説明していくということでありますから、これはある意味言葉ではなくて、あの、共通の知識が生まれてくる可能性があるわけですね。
[11:12] ま、こういうものを科学というと、科学と言うとすると科学とはちょっと違うそのアプローチの仕方をするのが人文学という風になるかと思います。
[11:19] で、こういう人文学はそれじゃいつからあるのかってことですけれども、あの、そもそも人間だとかあるいはその人間の住んでいる世界とかあるいは宇宙っていったものを考えるということは言葉が生まれて以降人類はずっとやってきてるわけでありますけれども、それを研究としてある程度組織化するようになるのがあの
[11:39] 19世紀からニ世紀の初め頃の西洋世界であろうと西洋であろうと思われます。
[11:46] そこでその生まれたあの世界の見方あるいは人間についての考え方のようなものが、え、日本この劣島、そして日本語に取り入れられて、で、日本で人文学というものが組織化されていきます。
[12:00] で、従ってこれは当然その西洋のものそのものがここにあるわけではなくて、え、言葉の点でもそれからここに もちょっと書きましたように、あの、それまでに当然日本語で考えられてきた、あるいは日本語で議論されてきたような様々な、ま、広い目での人務薬という知識あるいは学問の方法っていうのはあるわけですから、それに西洋のものがこう追求されて日本独特の、え、事務学の分野、学問分野だとかあるいは知識が生まれてきたという風に考えてよろしいかという風に思います。
[12:30] で、その、そういう状況なんですけれども、じゃあ今例えばこの東京大学の、え、人文学に関する研究教育ってどんな
[12:41] 風に行われているかって言いますと、
[12:42] ちょうどこの大学ができて、あの、東京大学、帝国大学ができて、しばらく経った頃にしっかり出来上がってきたニュース、
[12:49] 前半から半ば頃までのその世界とか人間を見るためには非常にうまく適合するような、あ、え、組織、構造になっているのではないかというのが私の意見です。
[13:01] 例えば歴史学というのは日本、東洋、西洋士という風に分かれていまして、この3つが、ま、やば1つの研究単位になってるわけですね。
[13:07] で、西洋という1つの世界があり、そこについての研究、そして日本っていうものがあって、その間が東洋であるという風な形。
[13:16] そしてそれぞれの中で、例えば豊市の中に私が昔研究言及していましたイラン市というのもありますし、西洋市の中にはフランスという国単位の歴史のあの、え、ま、研究単位があると。
[13:27] で、こういうのはあの、え、少なくとも20世紀半ば頃あんまり詳しくは申し上げられませんけれども、世界を理解するためは非常にいい、え、仕組みであったと思います。
[13:37] で、枠なんてのは、ま、無視すればいいわけであって、実際今必要なその研究
[13:43] をすればいいんですけれども、とはいえ枠
[13:45] が研究と教育あるいはその日本語による地の体験の特徴を決めているってことはこれ
[13:49] は、ま、事実だろうと思います。
[13:53] 例えばアジアとか東洋って言葉は今でもよく使われていて、で、これは日本語に独特の意味
[13:58] を持つわけですね。
[14:00] 同じエイシアって言葉とかあるいはオリエントって言葉をその英語で話してた時には日本日本の人は頭に
[14:05] 思い浮比べるものと違うものが浮かんでくるわけですから日本語に独特のものて
[14:10] やはり枠ってのはどうしてもそのあのその言葉に独特のその地の体型を作り出して
[14:17] いくんじゃないという風に思います。
[14:19] で、そうした時にその2050年まで30年後考えた時に今のままの人学のこの組でいい
[14:24] んだろうかってのが、ま、根本的な私の疑問点であります。
[14:30] で、例えばその人間って言葉自体ですね、一体そもそも何を人間と考えるか、それから、え、人間とは何なのかっていう風な、ま、ものはですね、時代と地域によって異なっています。
[14:40] ま、簡単例上げますと、
[14:45] 18世紀頃にはまだチンパンジーというのは人間かどうかっていうのすごい機能してるわけですよね。
[14:50] 世界でですけども、ま、そういう例もありますし、その人間ていうのは何なのか非常に、ま、難しい、え、ところであります。
[14:56] これから20年が経ってもう、あの、え、脳だとかそういったものが全てあのディジタル化してしまっしまうとですね、え、中島先生の脳と私の脳が一緒になって、あの、1人の人間があ、人間なのかどうか分かんないものができてきてですね。
[15:11] で、それでもってそのこの手を動かしてのは誰かって話になったりするかもしんない。
[15:15] ま、そういう風なあの、え、ことも考えるわけで、同時にあの例えば哲学とか宗教とか社会とかっていう言葉もですね、これはあの日本語では我々こういう風に理解しています。
[15:26] それなりに理解してますけど、これが英語になったりフランス語になったり中国語になったりした途端に意味が変わってくるということはあり得ると思います。
[15:33] で、そういうことを考えると、その人文学の研究分野と枠組とは当然不遍ではないわけです。
[15:37] 時代が変わるにつれて色々とその研究対象も変わりますし、ま、それにアプローチする方法も変わっていくだろうと。
[15:42] で、そういう中で
[15:47] その世界という枠組をその研究の対象とし、研究の枠組とするようなあの、ま、研究ですね。
[15:55] そういうものが今ここにあの、え、歴史、思想、哲学ですね、それから文学、宗教と並んでいますけど、それ以外にもいくつかあると思いますが、そういう分野で出てきています。
[16:08] で、これはどう考えればいいのか。
[16:12] その世界という言葉をそれぞれのその歴史だったら歴史の文脈でこれは重要だという風に考えて私はやってるわけですけども、あの、ようのことがそれぞれの分野で言えるのかについて必しもその、えっと、分野を超えて、ええ、共通にそのディスカッションする機会もなかったんじゃないかなと思っています。
[16:31] で、そういうこともあって、そのここであの意見情報交換をしてみたいというのが、え、趣旨であります。
[16:36] で、もう少し趣旨があるんですけども、あの、時間が限られていますので、この後の歴史のところでお話をします。
[16:43] で、さっき伊達伊先生の方から、あの、世界史だけは高等学校で
[16:47] 教えられてるという話はございましたけれども、これはあの、やはり、え、それなりの理由があるわけで、集団的アイデンティの強化に非常に歴史というのは、あの、有効であると。
[16:57] で、多分他の、え、そういうと失礼なんですけども、そのものに比べると、あの、ひょっとすると高校で教えるとその立派な日本国民が生まれるという意識が昔あったのかもしれないですね。
[17:11] これ分かりませんけれども、あの、依前しましても、ある実家歴史というのはその非常にあの、こと学の科目として重要であるわけです。
[17:17] で、1つ言い忘れましたけど、今私がここで話してるのは日本語の人文学についての話でありまして、後でも最後に申し上げますようにこれをディスカッション自体は英語では成り立たないと私は思っていますので、今あくまでも日本の話です。
[17:31] で、その場合にその日本ではその世界独という概念は、ま、戦前にもありました。
[17:37] 言葉はありました。
[17:39] で、もっと世界のドイツ語とかだったらもう18世紀、19世紀ぐらいあるわけですけども、それちょっと覗いて日本で世界ていった概念は戦前からあるんですけれども、あまりあの、え、
[17:51] 一般的でなく、具体的にみんなが使うようになるのはその第2次世界大戦後のことであります。
[17:58] ここにありますように西洋都用紙を合体させただけのものから次第に文明地域のその、え、に分かれていきます。
[18:07] で、あの、この図でご覧いただきますように、え、世界各地がいくつかの地域に分れていて、それぞれがそれぞれの歴史を持っいる。
[18:17] ま、この図で分かりやすく書いてるつもりですが、これをもうちょっと言葉にしますと、世界は異なった複数の部分からなっていて、それぞれが異なった歴史を持っている。
[18:26] もう1度戻しますと、例えば日本であれば日本の古い時代からずっとその現代に至るまでその赤い、え、帯にあるような1つの歴史が存在している。
[18:36] で、これは当然人間集団全部異なっていたということが前提ですね。
[18:39] で、その中で特にこの紫のあるいは青のヨーロッパの部分が、え、非常に有力であって、ある時期以降世界に大きな影響を及ぼしていくようになるということです。
[18:50] それから世界
[18:54] っていうのは、ま、こういったようないくつかのその文明世界と言ってもいいのかもしれません。
[18:57] こういったものを全部紐で縛ってで、それではい、これが世界史ですという風に言ってるのがあの、ま、現代日本における一般的な世界史の理解であろうという風に思います。
[19:07] もちろんあの細かいこと言い出すとそういうあの、え、簡単にはそんな風には言えないんですけれども、え、ま、ざっと言うとそういう風な理解になるかと思います。
[19:22] で、この理解の問題点ってはですね、えっと、国とか地域を別々の単位として世界をまず分けるわけですよね。
[19:28] 分けてその部分ごとに、え、自系列にこう歴史を解釈していこうとするということであります。
[19:34] つまり世界1つに一体として理解しようという風にあまり考えない。
[19:40] それから国はそういう風にしますと、その国は地域に強い貴族意識を持つ人が当然出てくるわけで、この中で日本っていうのが日本の我々の歴史である、東南のアジアが我々の歴史であという風に考える人たちが出てきて、それ以外のところは他のその
[19:54] 自分たちとは違う他者の歴史であるという風に考える人たちが出てくるでしょう。
[19:59] 同時にどこを自分のその歴史だと考えるかによってその世界の理解の仕方は変わってきますから。
[20:05] そうするとこれを全員が共有するってなかなか難しいんじゃないかという風に思われるわけです。
[20:10] で、私がその提承したのが新しい世界なんですけれども、
[20:16] その自分と他をこう分けてその、え、区別しよう、区別してそ、区別することは絶対必要なんですけど現に違うわけですから。
[20:24] しかしそれだけをその強調するような、あ、世界観は、え、現在のこのグローバル化が進んでいるような中では問題解決に役に立たないんじゃないかと。
[20:35] で、それよりはやっぱりもっと地球の住民っていう私たちはその国が違っても、あるいは言葉が違ってもさらにはその性別だとかあの年齢が違ったってみんな同じ地球の住民なんだって意識が持てるような、ま、持てば、そういう意識を持てばその協力してその世界で様々に起こっている、
[20:55] え、基地救急部の問題をに対応してでそれ
[20:59] を解決するようにもっと有効な議論が
[21:02] できるんじゃないかという風に考えて、
[21:04] そうすると、え、やっぱり地球への貴族
[21:07] 意識を持てるような世界史を考えないと
[21:10] いけない。で、え、そういうことを今
[21:12] ずっとこの数年、10年近く言い続けてい
[21:14] ます。で、これを実現するための方法とし
[21:17] て私はグローバルヒストリーというのを、
[21:19] え、提唱しているところであります。で、
[21:21] これが最後のスライドなんですが、え、
[21:24] そういう風に言ったところがですね、え、
[21:26] なかなかあの、ま、そう簡単ではない。
[21:29] まずその世界の歴史といっぱい世界中の
[21:32] いろんなその過去についてその歴史学に
[21:35] 方法があってその資料を読んできちっと
[21:37] その1つ1つ事実を過去の事実を確定して
[21:39] いくってことやってるとまず私1人で
[21:42] 世界中のその資料を読めるわけがない。
[21:44] それからそのえいろんな人と協力するとし
[21:48] てもそれはなかなかえそれぞれがそれぞれ
[21:50] のあの研究をやってる以上そう簡単には
[21:53] うまくいかないとかあります。で、同時に
[21:56] その、これしばしば誤解されるんですけど
[21:58] 、そういう世界史をやればもう一国者いら
[22:01] ないっていう風に私が言ってるように思わ
[22:02] れるわけなん。そうじゃないんですけれど
[22:03] も、そのどうもそう思われてしまうで、
[22:06] あなたは日本いらないと言ってるわけです
[22:08] ねっていう風にこうすぐこう、あの、え、
[22:11] 問い詰められるんですね。で、あの、え、
[22:14] ま、今グローバルヒストリーっての流行っ
[22:16] てきていて、その場ではもう、ま、日本は
[22:19] まだそう簡単になくなんだでしょうけど、
[22:20] 例えばその、え、ポーランド市とかですね
[22:23] 、あるいはイラン市とかそういったものは
[22:25] もうなくなってしまうんじゃないかと思っ
[22:27] て、すごくこう、こういうあの考え方は
[22:32] いけないっていう風に叱られてしまうこと
[22:34] が結構あります。これどうすればいいか
[22:36] 問題がございます。で、ここまでがその
[22:38] 歴史なんですけど、今日の他の先生方との
[22:40] 議論でいきますと、その日本語ではですね
[22:43] 、人文学、日本語の人文学だと比較的に
[22:46] 世界が簡単に議論できるんです。皆さん
[22:48] 世界哲学とか世界文学とかできるんです
[22:51] けども、これを英語にした途端にうまく
[22:53] いかなくてたんですね。で、英語ではです
[22:56] ね、ワールドhisというとこれ独特の
[22:58] 意味があって、えっと、あの、ドイツ語の
[23:02] ベルトゲシってのが来てる、ま、西洋中心
[23:04] 的なその歴史の見方で簡単に英語で
[23:08] ワールドヒストリーと言うと、そのあなた
[23:10] は古いものの考え方してるのかと怒られて
[23:12] しまうことございます。だからこそ英語で
[23:15] はグローバルヒストリーってのはその
[23:16] むしろ我々が今私が言ってるように新しい
[23:19] 世界史の意味でグローバルヒストリーって
[23:20] 言い方をしたりするんですけれども、ま、
[23:22] これがあの英語でやる時と日本語でやる時
[23:25] の非常に難しい理論の分かれになっている
[23:27] 。ま、こういうことをどうすればいいのか
[23:29] ということについても、あの、え、今後
[23:32] その外国の先生方とお話する時には、あの
[23:34] 、もう少し詰めていかないといけないなと
[23:37] いう風に思ってるところです。で、歴史に
[23:39] つきましての話はそれだけなんですけども
[23:40] 、ま、宣伝として申し上げますと、この今
[23:44] 私自身が持ってる意識をそのまま、あの、
[23:47] え、ぶつけるためにこの2ヶ月後に9月の
[23:50] 初めにあの、ちょうど海外からたくさん
[23:52] あの、え、ま、いわゆるグローバル
[23:54] ヒストリーのシ、あの、グローバル
[23:55] ヒストリーに研究してる先生方
[23:56] いらっしゃるので、ま、東京彼氏の枠を
[23:58] 借りて2回今度はその英語で
[24:00] ディスカッションするって機会を作ってみ
[24:02] たいと思っておりますので、もしご監視が
[24:04] 悪でしたらその時にまたおいでいただけれ
[24:06] ばという風に思います。
[24:07] これがあの私のからのお話であります。どうもありがとう。は田先生、どうもありがとうございました。えっと続きましてはえっと中島高弘です。え、東洋文化研究所、え、教授でありまして、え、文社会計研究化、中国想文化、総合文化
[24:31] 研究化、え、懲役文化、少文化
[24:35] 論、え、先生です。
[24:37] え、これまでその、え、東大のUTCP、
[24:40] え、強制のための国際哲学研究センター、
[24:43] え、それから、え、EMPという、ま、
[24:46] 東大エグジクティブマネージメント、え、
[24:49] プログラム、え、携わっておられまして、
[24:51] え、東アジア芸文所員、え、EAのあの副
[24:55] 長を、え、なさっておられます。え、ご
[24:58] 専門は、あ、中国哲学、え、日本哲学、え
[25:02] 、フランス哲学、え、比較哲学。あの、
[25:05] このリストはやっぱりすごいことであり
[25:07] まして、え、ま、これまでのご研究で、ま
[25:09] 、その中国哲学を土台とした比較思想、
[25:12] 比較哲学ということやられるわけです
[25:14] けれども、え、ま、フランスの中国学と
[25:17] いうのもあのカバーされていて、あの、え
[25:20] 、英語中国語はもちろんそのフランス語の
[25:22] 、ま、高度な運用力というのがあの研究の
[25:25] 強みになってるんじゃないかなと思います
[25:27] けれども、え、主要著作としましては、え
[25:30] 、強制のプラクシス、え、国家と宗教、え
[25:33] 、東大出版会2011
[25:35] え、悪の哲学、中国哲学の創像力、え、
[25:39] 逐房2012年ですね。それからあの
[25:41] ちょっと手元に持ってきましたが、あの
[25:43] 思想としての言語、え、岩波書店2017
[25:46] 年。え、これ、ま、言語っていうのは、
[25:48] あのローカリティとか特殊性というものに
[25:51] 規定されますけれども、それを通して、ま
[25:53] 、普遍というんですかね、普遍的な思想の
[25:56] 回路が開ける、ま、そういうところにも、
[25:57] ま、多分おそらく今日の世界っていう話に
[26:00] も繋がってくるのではないかなと、え、
[26:02] 思われます。それでは中島先生お願い
[26:04] いたします。
[26:05] はい。え、ただ今ご紹介預かりました中島
[26:09] でございます。あの、時間が限られており
[26:12] ますので、ま、端的に、え、世界哲学のお
[26:16] 話をしたいと思います。とはいえですね、
[26:20] 今日のメインテーマは世界とは何かって
[26:23] いうことですよね。ちょっとそれを
[26:25] 振り返っておきたいと思います。あの、
[26:28] 世界っていう言葉自身ですけども、これは
[26:31] あの仏教語として用いられたようですね。
[26:35] で、サンス後にですね、ローカダートって
[26:39] いうのがあるようです。それを翻訳する時
[26:42] にこの世界という言葉を使って、ま、翻訳
[26:48] をした。ま、元々の意味はここに書きまし
[26:50] たが、ま、人間と、人間と、ま、人間を
[26:54] 住む場所のことを廊下ま、まさにあの
[26:57] ローカリティとかのローカルって意味です
[26:59] よね。え、そういう意味だったと。です
[27:02] からダってのはそれがどういうこう
[27:05] レイヤーになっているのかこういう意味
[27:07] だったそうですが、それを世界と訳した
[27:10] そうです。で、これはあの世間という役も
[27:14] 同時にあったようですので、ま、こういう
[27:17] そのパスペクティブを、ま、持っていたん
[27:20] だなということが分かります。で、そう
[27:23] するとですね、どういう具体的なイメージ
[27:25] があるんだろうかって言うと、ま、よく
[27:27] 知られているのはその趣味線世界ですよね
[27:29] 。趣味線って大きなこう山があってですね
[27:32] 、ま、そこに私たちの世界がある。ま、
[27:35] こういうあの表彰が登場したり、あるいは
[27:40] これちょっと載せておきましたがはっ取り
[27:43] 赤ネっていう人の3大ですね。そこに
[27:47] ちょっとこう絵がございますね。え、10
[27:50] とか8とかね。ま、こういうイメージで
[27:54] 世界を捕まえようとしていた。ま、ちなみ
[27:57] にこれは乗永の乞ジ殿にくっついている
[28:00] ものですから、ま、国学定学の成立にとっ
[28:03] てこの世界観はとても大事だったようです
[28:07] ね。ところが問題はですね、近代になって
[28:13] 私たちは新しい世界概念に直面したわけ
[28:17] ですね。ワールドね、ワールドヒストリー
[28:21] と先生おっしゃったこのワールドに直面を
[28:24] する。そうするとあれあれどうやら私たち
[28:28] が今までこれが世界だねと思っていたもの
[28:32] 、それとは違う
[28:35] 場所ってのがこう展開してい
[28:36] るっていうのが分かったわけなんです。
[28:40] この衝撃っていうのは結構私大きかったん
[28:42] じゃないかなと思うんですね。で、今仏教
[28:46] のお話をいたしましたが、ま、例えばあの
[28:49] 、ま、中国の特に、ま、樹学的なイメージ
[28:52] だと天下っていう概念がありますよね。ま
[28:56] 、日本でもあの天下っていう概念は大変
[28:59] よく使われていたと思うんですが、そう
[29:02] いう世界観を持っていた。でもそれが否定
[29:05] されるわけです。いやいや、君たちの言っ
[29:07] ている天下なんてのはワールドという意味
[29:10] での世界の一部なんだ。そういう、ま、
[29:14] パスペクティブの大転換が近代において
[29:18] 生じたわけですよね。ところが、ま、それ
[29:22] はあの普遍ユニバーサルっていうものが、
[29:26] ま、移行したっていうことだと思うんです
[29:29] けども、しかしですね、今もう1回その
[29:33] 西洋近代的な普遍概念が問い直されつつ
[29:37] ある。これがポイントだと思います。ま、
[29:39] 先ほどの羽田先生のワールドhisory
[29:42] のこう新しい見直し、これにこの背景にも
[29:47] 西洋近代的な普遍への疑いと言いましょう
[29:52] か、問い直しってのがあるんだろうと思い
[29:55] ます。で、ま、ちょっとだけ例をここに
[29:57] 上げておきましたが、例えばあの、ま、
[30:00] 中国ではですね、添加主義
[30:03] ね、こういう言い方をするんですね。者
[30:06] 10位さ、最初私聞いた時はうんななんと
[30:12] 王時代的なことをまた言ってるのかなと、
[30:14] ま、思うわけです。でもその心は何かと
[30:17] 言うとワールドとしての世界そこにもし
[30:20] 限界があるんだったらもう1回古い不遍
[30:23] 概念である天下これを使い直すことにも
[30:27] チャンスがあるんじゃないか。ま、こう
[30:29] いう発想なわけですよね。で、これには
[30:32] まあ賛否両論今大変あります。あるいは
[30:36] ですね、この右側にこれあの日本で最近
[30:40] よく流行ったんですが、なぜ世界は存在し
[30:42] ないのかっていうね、マルクスガブリエル
[30:45] の議論ですね。ま、こういうのがあって、
[30:48] あの彼自身はその世界っていう概念を哲学
[30:52] 者として根本的に疑ってるわけです。なぜ
[30:56] かと言うと、この近代的な普遍概念として
[31:00] の世界ってのは全てをこう奉がするような
[31:04] 全体化するような力を持った概念である。
[31:08] しかしそれが問題ではないか。全体化に
[31:12] 逃れるっていうことが哲学には大事なん
[31:15] じゃないか。ま、このような問が、ま、
[31:18] あちこちで生じているわけですよね。では
[31:21] 世界哲学っていう概念これはどうなんだ?
[31:26] そんなにこれ流通していないんです。ま、
[31:28] ないわけじゃありません。ま、
[31:29] ウェルトフィロソフィーみたいなドイツ語
[31:31] が、ま、あったりはいたします。で、
[31:34] 面白いのはいやいや哲学ってのはそれ自体
[31:38] が普遍的であるからそこに世界ななどと
[31:42] いう限定をつける必要はないじゃないかね
[31:47] 。哲学ってのはそういう人が変的である。
[31:49] こういう反論が当然ながら出てくるわけ
[31:54] ですよね。そうするとですね、世界哲学
[31:58] っていうのは実は世界の地域のあちこちで
[32:02] なされている哲学の
[32:05] 相和ですよね。それを集合させたもの。
[32:09] 世界各地の哲学という意味で理解される。
[32:13] それに対して哲学ってのはより普遍的な
[32:16] わけです。こういうその概念の配置がま、
[32:20] ずっとなされています。右側に
[32:22] ワールドフィロソフィーって
[32:23] オクスフォードの本を出しておきましたが
[32:25] 、例えばその
[32:27] 目はこうなってるわけですね。まさにあの
[32:31] 小ケースみたいにかあの地域哲学が並んで
[32:35] いるわけですね。じゃあ世界哲学はその
[32:39] ままでいいのかというとそういうわけでは
[32:43] ありません。やはり今天気が来ております
[32:46] 。で、私どもに直接関わってるのは去年
[32:50] ですね、世界哲学会議ワールド
[32:53] コンングレスオブフィロソフィーっていう
[32:54] のが北京大学でありました。で、我々日本
[32:57] チームはですね、ここで世界哲学っていう
[33:01] 概念を新たに提示した。それは地域哲学の
[33:05] 寄せ集め、相和としての世界哲学ではなく
[33:08] て、新しい形で普遍に向かっていく哲学。
[33:13] これを世界哲学として提示しよう。こう
[33:17] いう、ま、提案をいたしました。会えなく
[33:22] 激沈をいたしますね。あの、お認め
[33:26] いただけなかった。本当は5年後にですね
[33:28] 、東大でこの世界哲学会議やろうと思った
[33:30] んですが、破れました。え、でも、まあ、
[33:34] 10年後にやろうかなと。ま、ちなみに
[33:36] このワールドコンスオブフィロソフィーは
[33:38] 1900年にこういった人々によって始め
[33:41] られた。ま、20世紀を切り開いた1つの
[33:44] 会議だったんですが、ま、我々はそれを
[33:47] 21世紀に大きく変えようとしたわけです
[33:50] ね。で、もう1つの天気、ま、天気という
[33:54] か実は先ほどのオクスのワールド
[33:57] フィロソフィーの返者の1人でもあるん
[33:59] ですが、あのこのガーフィールドっていう
[34:03] 人とノーデンっていう人がニューヨーク
[34:05] タイムズにですね、ここにあげたような
[34:08] 記事を置きました。あ、書きました。それ
[34:11] 何かと言うと、いや、アメリカでやってる
[34:14] 哲学ってのは欧米哲学に過ぎない。哲学の
[34:18] 名に値しないのではないか。こういう批判
[34:22] 記事をニューヨークタイムズに乗っけた
[34:25] わけなんですね。で、これはまあ多くの
[34:28] あの反論を引き起こしましたがほとんどの
[34:31] 場合はネガティブな反論。何を言ってるん
[34:34] だね、君たちはという反論でした。しかし
[34:39] おそらくあの別な方向に今向かってる
[34:43] だろうと思います。ま、50年、2050
[34:45] 年の新聞学ってのやっぱ考える時にやっぱ
[34:48] 来るべき世界哲学ってのを考えなければ
[34:50] いけないと思います。で、その試みを、ま
[34:54] 、あの、あちこちで今始めていてですね、
[34:57] 東大でも世界哲学としてのアジア思想です
[35:00] とか、え、あ、これはあの、そこに来て
[35:04] もらったブレッドデイビスっていう人なん
[35:06] ですけども、ま、彼がですね、先ほど
[35:08] ニューヨークタイムズの記事に対する
[35:10] ネガティブな反論に対して、ま、このよう
[35:13] な批判をしている。つまり哲学っていうの
[35:17] がより開かれた学問であるはずなのに、
[35:20] しかしですね、実は特殊なね、特殊な分析
[35:24] 哲学、分析哲学という地域哲学に基づいた
[35:28] イメージしか持ってないその貧困を我々は
[35:31] どうやって乗り越えていくのか。ま、これ
[35:34] を
[35:35] 主張しているわけですね。で、おそらく
[35:38] もう私たちが見てる世界ってのは概念が
[35:41] もう世界的に循環をしているとね。その中
[35:44] で世界哲学、地域哲学の寄せ集めではなく
[35:47] て大きな概念の循環というところで考えて
[35:51] いかなきゃいけないと。ただま、あの
[35:55] 先ほど日本を諦める必要はないっていうの
[35:58] と同じようにやはりそのある種の在来の
[36:01] 理論これは当然考えなければいけない。
[36:04] そのようなところに世界哲学ってのはある
[36:06] かと思います。で、最後にですね、最近の
[36:09] 展開、まず左側は先週あったんですが、え
[36:13] 、中国社会文化学会と今私があの羽田先生
[36:17] を委員長として進めさせていただいてる
[36:19] 北京役とのジョイントプログラムがあり
[36:21] ます。東アジア芸門書に。これがサポート
[36:24] して世界哲学としての中国哲学をやりまし
[36:27] た。で、同じように日本総学会でも世界
[36:29] 哲学っていうことをやってございます。
[36:32] ま、このような試みからですね、やはりその哲学を世界哲学として最定義することによって不に開き直すこういったことをやっていければと思っております。ありがとうございました。
[36:47] 中島先生、どうもありがとうございました。あの、哲学の不思考っていうことと、ま、あと世界哲学って言った時に各地の哲学とまれてるけれども、ま、それをなんとか書き換えようと、え、してる試み、あ、意気込みというのをあの感じることができました。
[37:02] え、あの、3人目のあの登壇者、え、沼野
[37:06] 三義先生です。え、新聞社会研究家、え、
[37:11] 教授で、え、スラブ後、え、スラブ文学、
[37:14] え、研究室の、え、ご所属です。え、あの
[37:18] 、あの、ご専門はロシアポーランド文学と
[37:21] いうことになりますけれども、あの、え、
[37:24] ま、日本の文学も含めて、あの、広く、え
[37:27] 、文源評論家としても、あの、ご活躍、え
[37:30] 、されておりまして、あの、ま、世界文学
[37:33] というと、あの、ま、あの、沼野先生の
[37:35] キーワードというか、え、東大文学部の、
[37:38] え、世界文学のあの、旗振り役の、え、
[37:41] 1人と、え、にして、ま、あの、応護省と
[37:44] いうこと、え、かと思います。あの、ま、
[37:46] 著作にですね、え、ま、ユートピアの手紙
[37:49] 、え、これ、ま、1997年にあの、書か
[37:52] れてるんですが、あの、副題が世界文学
[37:54] からの二重の声と、あと、ま、W文学の
[37:57] 正規と、ま、あの、J文学って言われてた
[37:59] ことがありまして、ま、それに対してW
[38:01] って、ま、世界をあの、え、想像するよう
[38:04] なあのW文学ですね。それから、ま、世界
[38:07] は文学でできている、ま、公文者から、え
[38:09] 、あの、これシリーズもになっていまして
[38:11] 、あの、私、あの、2の方今日は手元に
[38:14] 持ってきましたけれども、ま、文学者、え
[38:16] 、たちとの、ま、対話と、え、あの、研究
[38:19] 者たちとの対話ということになっており
[38:21] ます。あの、役所も多数ありまして、え、
[38:23] チェオフとかナボ府とか、え、日本文学の
[38:26] あの、海外への紹介にも、あの、取り組ん
[38:28] でらっしゃいます。それでは、あの、今野
[38:30] 先生お願いいたします。
[38:35] え、ご紹介ありがとうございます。えっと
[38:38] 、沼野でございます。ま、今日は世界文学
[38:41] についてちょっとお話をするんですが、
[38:44] あの、ま、世界宗教とか世界哲学に比べる
[38:48] と世界文学という言葉は割と馴染んでいる
[38:51] んではないかと思います。え、というのは
[38:54] 日本語で普通にですね、世界文学前収とか
[38:58] あるいは世界文学時点といったような言葉
[39:01] はよく使われております。ただちょっと
[39:03] 日本でのその使い方注意を要するのは世界
[39:06] 文学前収って言いますとね、普通日本文学
[39:10] が入ってこないんですね。これ日本の非常
[39:12] に独特の使い方なんですが、ま、文芸学上
[39:16] 世界文学ってのはどういう風に使われてき
[39:18] て、え、今世界の文学研究の世界において
[39:22] 世界文学という概念がどのように扱われ
[39:25] てるかってことの、ま、基本的な流れを
[39:27] 今日はちょっとお話しさせていただきたい
[39:30] と思います。で、あの、世界文学って言葉
[39:33] はですね、この種の言葉には珍しく、あの
[39:36] 、最初に使われた日付まで記録されてる、
[39:39] え、言葉です。え、ゲテがかの有名なゲテ
[39:43] がエッカーマンとの対話という、え、書物
[39:46] の中で1827年1月31日に、え、死
[39:51] 人類の共有財産である。それは至るところ
[39:54] あらゆる時代に無数の人間たちから
[39:56] 生み出されるものだ。今日国民文学は
[39:59] あまり意味がない。世界文学の時代が到来
[40:02] してるのだ。え、だからこの時代をが来る
[40:05] ことを促進しなければならないという風に
[40:07] 言っております。
[40:10] ま、あの、世界ベルトリテラトゥュアと
[40:12] ドイツ語では言いますけども、ま、この、
[40:15] え、つまり世界と文学なんてごく普通の
[40:17] 言葉を2つ繋げただけでそんなこと誰でも
[40:20] いつでも言いそうなものなんですが、ま、
[40:22] この2つをくっつけてある1つの特別な
[40:25] 概念として、え、使ったのはこの時のゲが
[40:29] 最初という風に言われてます。あの、厳密
[40:32] に言いますと、ま、この、これより少し前
[40:34] に、え、この言葉を使ってる人がいるとか
[40:37] 、ま、ちょっと細かい交渉はあるんですが
[40:39] 、影響力が大きくてやっぱり最初に、え、
[40:43] 重要な発言をしたのは原手でした。で、
[40:47] えっと、ま、こういった、えっと、いわば
[40:49] 世界の文学、人類の共通の財産として普遍
[40:54] 的な価値を求めていこうという方向。ま、
[40:57] これ極めてあのインターナショナルなもの
[41:00] ですね、あの国民文学じゃなくって
[41:03] インターナショナルって言いますと思想的
[41:05] にはこれはマルクス主義などにも非常に
[41:08] 神話性が高くて、え、共産党制限にも実は
[41:12] 世界文学ってことが出てきます。で、
[41:15] ちょっと時間がないので、ま、この辺は
[41:17] 省略して先へ行きますが、え、こういった
[41:20] 普遍的なものを求める世界文学の理念と
[41:23] いうのは実は現代ではどうなってるかと
[41:26] いうと、え、必ずでしもその、その理念が
[41:30] 実現してるわけではなくて、もっと世界は
[41:33] 複雑で多様です。で、その複雑で多様な
[41:36] 世界をどういう風に捉えて、文学の世界で
[41:40] それをどう考えるかってことで、もう過去
[41:43] 20年くらいですね、非常に新しいんです
[41:45] けども、色々な動きが出てきています。で
[41:48] 、今最も影響力が強い、え、有名な著作を
[41:52] 、え、ここでは3点に限ってちょっとご
[41:55] 紹介します。いずれもこれは幸いですね。
[41:58] 日本語にも翻訳が出ています。ま、それ
[42:00] だけ重要な本だということですが、え、
[42:03] まずフランスの、え、パスカル風という人
[42:07] ですけれども、え、ま、これは世界文学
[42:10] 空間というタイトル法題はなってますけど
[42:13] も、文学資本という概念を使ってその認知
[42:16] と横量所有といった、ま、極めてこれ、え
[42:20] 、社会学的な、え、概念
[42:23] ですね。それを使って世界システムとして
[42:26] 文学の解明すると。で、ま、あの19世紀
[42:30] ですともうパリを中心とする世界文学空間
[42:33] という、え、そういう空間ができていたん
[42:37] だという、ま、システム論的に世界の
[42:39] システムとして文学を、え、研究したもの
[42:43] です。で、その次に、え、その後にですね
[42:47] 、フランコモレッティという、ま、
[42:49] アメリカ在住の学者なんですが、この人が
[42:51] 、え、ま、これは、あの、今でもやっぱり
[42:54] 議論の的になっている遠読ということを
[42:57] 言い出しました。で、この人も
[42:59] オーラスインなどの、え、世界システム論
[43:02] の影響を強く受けている、え、元々
[43:05] マルクス系の人なんですけども、え、ま、
[43:08] 世界システムとしての文学の電波や発展を
[43:12] 見るためには制度は必要ないと。で、皆
[43:16] さん、あの、文学っていうと作品を
[43:18] きちんと読んで制度してそれがいかに
[43:20] 素晴らしいかを考えるのが文学だと、え、
[43:23] 思ってる人多いと思いますけど、だから
[43:25] モネッティはそこに真こから、え、なんて
[43:28] いう人の神経を魚でするような性はいり
[43:31] ませんと遠読をしましょうと、え、いう
[43:34] ことを言いました。で、彼の議論はしかし
[43:36] 今でも非常に影響、反響が強くてですね、
[43:40] ま、あの世界文学を論ズの時はまず漏れテ
[43:43] を批判するところから始めるという風な
[43:46] 感じすらあります。で、あの、個人的にも
[43:50] 私とも関係が深くてですね、あの、豊かな
[43:54] 成果を導き出してるのがデイビッド
[43:56] ダムロシというハーバーの比較文学の教授
[44:00] で、え、世界文学とは何かという本を書い
[44:03] ています。
[44:05] で、え、ダムロッシュの世界文学論っての
[44:08] は、ま、最後の方にですね、3つ、え、
[44:11] 特徴的な印象的な定が出てきます。世界
[44:14] 文学とは何か?第1に世界文学が2つの
[44:18] 焦点を持つ円空間であるというちょっと
[44:20] 分かりにくいことを言ってますが、これは
[44:23] 文学作品が翻訳されて別の文脈の中で需要
[44:28] されて世界文学となると。え、その場合に
[44:31] ですね、時刻の元の出発点とそれから
[44:35] 受け入れ先それぞれに、え、焦点ができて
[44:39] 2つの焦点を持つんだということですね。
[44:43] それから2番目に世界文学は翻訳によって
[44:46] 価値を増す文学であるということで翻訳さ
[44:49] れることによって世界文学が世界文学に
[44:52] なると。それから第3に世界文学は固定さ
[44:56] れた晴点のテキスト集ではなく1つの読み
[44:59] のモードである
[45:02] readディングであるという風に言って
[45:04] います。
[45:06] で、こういった現代の下テの時代から
[45:09] だいぶ立ってる現代ですけども、新しい
[45:13] 世界文学が展開してる背景というのがあり
[45:17] ます。え、それは、え、ま、従来の国別の
[45:21] 文学の分類、ドイツ文学とかロシア文学と
[45:24] か、え、そういった分類が極めて難しく
[45:27] なってきて、的なものが増えた。どの国の
[45:30] 作家と分類できないものが増えている。え
[45:34] 、それからポストコロニアな状況というの
[45:36] があって、え、欧米先進国中心から世界の
[45:40] 文学の脱中心化が進んだアジアやまラテ
[45:45] アメリカはもちろんですけど、アジアでも
[45:47] アフリカでも、え、様々なヨーロッパの
[45:49] ものに劣ってるとは言えない文学があると
[45:52] 。で、世界の、え、それからもう1つは
[45:56] グローバル化に伴って文学作品が
[45:58] グローバルに流通され、翻訳されている、
[46:01] ま、そういう状況があるということですね
[46:03] 。で、それに並行してですね、新しい
[46:06] タイプの世界文学前収といったものが出て
[46:10] きています。ま、ただ世界文学前収という
[46:12] 言い方は日本語特有の言い方で世界文学の
[46:16] 前収全部集めたものなんてはできるわけ
[46:18] ありませんので英語権外国語ではそう言い
[46:21] ませんけど、え、例えばここのロングマン
[46:23] 社の世界文学アンソロジーというのは
[46:26] 先ほど名前をあげましたダムロ主が中心に
[46:29] なって作ったものですけども、え、この
[46:33] 新しい班を見ると、ま、古代は、え、
[46:36] メソポタニアから現代は村上は樹までです
[46:39] ね。え、納められてる、そういう新しい
[46:43] 文学前進が出てきていて、完全に、え、
[46:46] 西洋中心主義の文学館は崩れています。え
[46:50] 、日本でも池沢ナさんが、ま、ほぼ同様の
[46:53] 方向の文学前を、え、編集しています。で
[46:58] 、え、ま、今はそのアンサロジーとか前収
[47:01] の話ですが、え、ま、どういう可能性が
[47:04] 研究分野として出てくるか、え、ま、まあ
[47:08] 、今ちょっとご紹介しましたけど、世界
[47:10] システム論的なアプローチという研究は
[47:13] あり得ると思います。ま、私自身はあまり
[47:15] 興味がありませんけれども。それで、え、
[47:18] 比較文学というジャンルは今までありまし
[47:21] たけど、え、ま、比較文学的な実影響関係
[47:25] ではなく、世界的強心性という観点から、
[47:30] え、従来比較できなかったようなものを
[47:32] 世界の文脈で、え、研究していくという
[47:36] 姿勢がありうるであろう。それから、ま、
[47:39] 翻訳と流通のプロセスへ着目すると、え、
[47:43] ま、そういう、え、新しい研究分野を
[47:47] 切り開くものであると言えると思います。
[47:50] で、これと並行してですね、え、カノンの
[47:54] 更新ということが、え、進んでいます。
[47:56] カノンというのは、ま、元々宗教において
[47:58] は公認された政点あるいは政点目録を意味
[48:01] する言葉ですけども、ま、文学ではある
[48:04] 時代に価値があると認められた作品群を
[48:07] 指します。ですから世界文学前ってのは、
[48:10] ま、それ自体がその時代の文学カノである
[48:13] とも言えるわけですが、カノっていうのは
[48:16] 時代を通じて変化しないわけではない。
[48:19] 新しい時代に応じて新しい可能が出ていく
[48:22] 。え、しかし、ま、研究の可能性という
[48:26] よりも、え、世界文学的な視点っていうの
[48:28] は何よりも文学の読み方を提唱するもので
[48:32] あると、え、言えると思います。え、
[48:35] ダムロッシュがアモードオブディングと
[48:37] 言ってますけども、これ要するに研究方法
[48:40] じゃなくって、え、1人1人が文学をどう
[48:43] 読むかという読み方の問題であるとで、
[48:45] 現代の世界は非常に多様ですけども、え、
[48:49] それに対してどう関わるかということに
[48:52] なってきます。
[48:54] そして、え、大学の人間としてはですね、
[48:57] これはやっぱり教育上の大きな意味がある
[49:00] とます思います。え、研究目標というより
[49:03] は、
[49:05] え、全ての、ま、ある意味では文学的共容
[49:08] の基礎ではないか。で、あの、先ほど羽田
[49:11] 先生のお話もありましたけど、世界の歴史
[49:13] をやろうって言うと一国はいらないの
[49:16] かって言われちゃう。で、私もよくそう
[49:19] 誤解されんですけど、世界の文学をやろう
[49:21] と言ってもですね、じゃあロシア文学、
[49:23] 日本文学という個別のディスプンを否定
[49:26] するわけではありません。しかしむしろ
[49:29] そういうことを専門的にやろうと人のと
[49:31] いう全ての人の文学的共用の基礎という
[49:35] ものが、え、世界を見るということでは
[49:38] ないかと思います。で、えっと、最後に
[49:41] ちょっと、え、やや手前みなんですけども
[49:44] 、ま、そういう風なことを考えまして、
[49:46] 私自身は先ほどご紹介にありました通り、
[49:49] 元々はロシア東文学を専門としてたんです
[49:53] けども、2007年に、ま、こういった
[49:56] 現代的な世界文学的なアプローチができる
[49:59] 、え、もうちょっと柔軟な研究室を作ろう
[50:03] ということで、2007年に、え、人文
[50:06] 社会系研究家文学部に現代文芸論研究室と
[50:10] いうものを創設いたしました。で、そこで
[50:12] は翻訳論、非理論、そして世界文学論と
[50:16] いったことを柱に、え、つまりフランス
[50:19] 文学とかドイツ文学、日本文学、そういっ
[50:21] た個別文学ではなくてですね、広くそう
[50:25] いうものを見ていこうという、そういう場
[50:27] を設けたわけです。
[50:30] で、ちょっとこれはやそこの理念をですね
[50:34] 、こういう風に図使するとこうなるという
[50:36] ことで、ちょっと字が細かくてあまりよく
[50:39] 見えないかもしれませんが、え、この図の
[50:42] 下の方にですね、人文間研究1番下にあっ
[50:45] て、その上に言語文化系ディスプリンって
[50:48] のあります。ですから、その土台の上に
[50:51] 世界文学へのアプローチというものが
[50:53] 成り立つということで、え、そ、その上に
[50:57] さらに国際研究ネットワークの構築とか
[51:00] 翻訳研究そういったものができるのでは
[51:03] ないかという風に考えました。え、という
[51:06] ことで、ま、これはあの、去年の夏ですね
[51:10] 、え、ま、ハーバード大学のダムロ教授が
[51:13] 中心になってる、え、世界文学研究所と
[51:16] いうのがありまして、毎年夏に世界の各地
[51:19] でサマーセッションをやっているんですが
[51:21] 、昨年は東京大学で、え、開催いたしまし
[51:25] た。4週間に、え、わる、え、大変長丁場
[51:29] の、え、しかし充実した、え、セミ、え、
[51:32] セッションで、ま、この開催にあたっては
[51:35] かなり実務的な、え、困難もあったんです
[51:39] が、あの、ちょうどここにいらっしゃる
[51:40] 羽田先生にも色々ご協力いただきまして
[51:43] ですね、これ文学研究をこういう国際的な
[51:46] 世界音楽の場に開いてくという試みとして
[51:49] は非常に貴重なものであったと思います。
[51:53] え、ということで、え、ま、世界文学って
[51:55] のは、え、何かってことですけども、それ
[51:58] は理念でもあり、現実でもあり、
[52:04] 実践でもあり、そして、ま、特にこの点を
[52:08] 強調したいんですけど、多様な自分とは
[52:11] 違う複数の世界がある、複数の他者がある
[52:14] に関わる姿勢そのものであるということに
[52:17] なると思います。ということで、ちょっと
[52:20] 時間聴化したかもしれませんが、以上です
[52:22] 。どうもご成聴ありがとうございました。
[52:26] え、沼野先生、ありがとうございました。あの、最後
[52:29] 4
[52:29] 方向からのあのまとめもありましたので、えっと、私からは、え、ここではあの、特に付け加えらずにあの、次に進みたいと思います。え、
[52:37] 4
[52:37] 人目の登壇者は、え、藤原子先生です。え、人文社会系、え、研究家、え、教授、え、宗教
[52:46] 学宗教市学、え、研究室の所属です。
[52:49] あの、AB系の、ま、最先端の宗教学論を
[52:53] 消化しながら、あの、批判的宗教学を、
[52:56] あの、展開、え、なさっていて、あの、
[52:58] フィールドは主にあの、欧米日本という
[53:01] ことで、ま、あの、英語で日本の宗教
[53:03] あるいは宗教学について、あの、論じると
[53:06] 、え、あの、いうのが、あの、特徴かと
[53:08] 思います。あの、国際的なあの、宗教研究
[53:11] 組織で、え、ま、あの、この後発表にも出
[53:14] てくるかと思いますが、IHRというのが
[53:16] ありますが、そこのあの、事務局長でも、
[53:18] え、いらっしゃいます。え、それであの、
[53:20] ま、主要著作、ま、正外年と近代、え、
[53:24] 2005年それから、あの、今日持ってき
[53:26] たのはこの3大宗教、え、天国、地獄
[53:28] クエスト、ま、あの、え、3大宗教の世界
[53:31] でここ、ま、キリスト教、仏教、イスラム
[53:33] ですけど、世界宗教とは言ってないわけ
[53:36] ですね、やっぱりあえて、え、なので世界
[53:38] 宗教概念の問題点が逆に炙り出される
[53:40] ところがあるかもしれませんが、あの、
[53:42] 大正大学出版会2008、それから
[53:44] 2017年に、あの、ポスト多分化主義
[53:46] 教育が絵宗教ということで、あの
[53:48] イギリスの宗教育についてのあの著作もございます。それでは藤原先生よろしくお願いいたします。
[53:54] ありがとうございました。藤原と申します。あのお手元のですね、このメをビジュアにしましたスライドを使ってお話しさせていただきます。え、まずあのこの図なんですけれども、え、この国際宗教会のゴです。で、皆様が普段
[54:11] ご覧
[54:11] になってる世界と違うと思うんですが、ヨーロッパ中心なんですね。
[54:16] で、私去年事務局長のですね、初仕事の1
[54:19] つとして、え、これを作り直しました。
[54:21] それ前どうだったかって言いますと、あの
[54:23] 、構図同じなんですけれども、来年
[54:25] ニュージーランドで、え、5年会の国際
[54:28] 大会が、え、このIHRで開かれるんです
[54:31] が、そのニュージーランドがノっぺとして
[54:33] ただの長方形だったんです。これは
[54:35] あんまりだと思いまして、もうちょっと
[54:37] 20ランドの形を正確に移したものに
[54:39] 書き換えました。で、それで日本も日本も
[54:42] 書き換えたんですね。しますのはそれ前の
[54:44] ロゴが日本列島は中国体育とになっていて
[54:49] ヨーロッパ人から見ると日本は中国の一部
[54:51] なんだということはよく分かるようなログ
[54:53] だったんですね。水伝速もちょっと
[54:55] 書き直したということをしてもらいまして
[54:56] 、ま、それは1つでも宗教悪の起こりを
[54:59] 非常に的確に表していまして、もう1つ
[55:02] この国際主学会と私たち今読んでるんです
[55:06] けれども、ヒストリーマグデストという
[55:08] 言葉が使えてる歴史宗教士学の国際学会だ
[55:13] というイメージ所になってるということ。
[55:15] え、これは現在では歴史学だけではなくっ
[55:17] て、え、社会学や心理学あるいは認知科学
[55:20] といったあるいは人類学多様な研究で宗教
[55:23] を扱う人たちの集まりなんですけれども、
[55:26] なぜこれがヒストリーという名前を
[55:28] そもそもつけられたのかということは歴史
[55:30] 的な由来があります。と申しますのは宗教
[55:33] 学と私たちが呼んでおりますのは19世紀
[55:36] の後半にヨーロッパで学者たちがですね
[55:40] 中東やインドや中国といったヨーロッパ人
[55:43] にとって他者の宗教、しかも昔の宗教の
[55:47] 晴点テキストをこれを解読するというとこ
[55:50] から始め始まった研究だからなんです。ま
[55:53] 、歴史学的、文献学的な研究が最初のこの
[55:56] 宗教研究の出発点でした。ま、まさに
[55:58] オリエンタリズムだったわけなんです。で
[56:02] 、そういった宗教学において世界宗教と
[56:05] いう言葉はですね、これは1世紀前以上
[56:08] からあります。え、しかしこれは現在は
[56:12] 批判の対象です。非常に、え、鋭い批判が
[56:15] なされています。え、どういうことかと
[56:17] 申しますと、世界宗教には2つの意味が
[56:20] 現在あります。少なくとも英語のワールド
[56:22] レジョンあるいはそれに該当する
[56:25] ヨーロッパ語には2つの意味がありまして
[56:26] 、で、日本ではこのBの意味、世界宗教
[56:30] って言いますと、民族宗教に対する世界
[56:32] 宗教だという意味の場合が、え、これが
[56:34] ほとんどだと思います。これがお馴染みだ
[56:36] と思います。で、このBの意味の世界中教
[56:39] もヨーロッパで元々はできた言葉なんです
[56:41] 。で、不遍宗教とも言われました。え、
[56:44] しかしその後Bの意味はAの意で置き帰り
[56:47] ました。今欧米県ではあまりBの意味で
[56:50] 世界宗教って意味は使いません。もっぱら
[56:53] Aの意味で世界の様々な宗教っていう意味
[56:55] でワールドレイージョンと言うんですね。
[56:58] で、なぜなのかということなんですが、A
[57:02] って世界宗教という場合にはAの中には
[57:04] こういった宗教が入ります。世界の様々な
[57:06] 宗教。え、しかしBの意味で世界宗教と
[57:10] 言いますとこの3つなんですね。ま、
[57:14] ゾロアスキタは宗教世界宗教言えるかどう
[57:17] か。これは色々い論があると思います。え
[57:19] 、しかしユダ教度教、これは民族宗教
[57:22] でしょ。世界宗教長ありませんってことで
[57:23] 湧きますよね。そこが問題になってしまっ
[57:26] たんです。え、つまりBの意味ですと、
[57:29] 世界にいろんな宗教を大きく2つに
[57:31] グループ分けして、で、しかも世界宗教の
[57:33] 方が民族宗教で上だっていう勝ち付けに
[57:35] ある。え、それは20世紀に他民族者、
[57:39] 他民族社会化する中でですね、え、到底
[57:41] 維持できないものになってしまったという
[57:43] ことなんです。
[57:46] え、ついでなんですけども、このAの方の
[57:48] 宗教の並べ方の順番、え、これは欧米社会
[57:51] によくある順番なんですけど、何順だと
[57:53] 思います?
[57:56] そう、アルファベト順なんですね。それが
[57:58] 1番中立だという風に思えてるということ
[58:01] で、じゃあBの方、これは日本でおそらく
[58:04] 1番あの一般的な並び順かと思うんです
[58:06] けど、こういうなじゃこうなんでしょう。
[58:08] 時代順なら仏教先に来ているはずだし、歩
[58:11] 順ならイスラム先に来てるはずだし。じゃ
[58:13] 、これはなぜキリスト教会が始まってるの
[58:15] か。
[58:17] これはあの宗教士ってのは元々は哲学士の
[58:21] 一種として考えられてきた。そ哲学どっか
[58:24] 始まってるかソクラテスからでしょ。そう
[58:27] すると宗教心もキリスト会でしょう。そこ
[58:29] から始まってじゃあなんか似たものなるか
[58:32] なって言うとインドに目を移してみては
[58:33] 仏教ありました。ま、そういったものが
[58:36] 残っているわけなんですね。で、現在宗教
[58:40] ではこのAの方の意味、え、つまり様々な
[58:43] 宗教って意味の宗教、世界宗教概念もこれ
[58:46] も批判されてるんです。で、どうして
[58:48] かって言いますと、え、これは世界史の
[58:50] 同じような問題があります。ま、各国士を
[58:53] タワにしただけの世界、え、世界史、同じ
[58:56] ように仏教教師、キリスト教師、イザム氏
[58:58] 、え、ユダヤ教師、これを束いたものが
[59:00] 世界教師。ま、こういった語り方なんです
[59:03] ね。え、その何が問題なのかと言いますと
[59:06] 、え、これワールドレジョンパラダイムの
[59:07] 問題と最近読んでるんですけども、まず1
[59:10] 点目、宗教って言いますと始めた人がいる
[59:13] 。消費者がいて、その思想を示す政点、
[59:16] テキストがある。で、それがその宗教の
[59:18] 本質であって、で、それが歴史の中ずっと
[59:21] 貫いたアイデンティだ。こういった考え方
[59:23] っていうのはプロテスタント的な宗教に
[59:25] 基づいてるっていう、これが1つの批判点
[59:27] です。ま、偏ってるってことなんですね。
[59:30] それから2点目として、え、これはあの
[59:32] 歴史学で言いますと、ある国には根本的に
[59:34] 民族精神みたいなものがあって、え、それ
[59:37] が発言し、発展してくのがその国の歴史
[59:39] だっていうような歴史官と2体なものが
[59:41] 宗教に当てわれている。え、宗教をなんと
[59:44] か教ってことで実態化してですね、あたか
[59:46] も種から木に成長してくれもし歴史を見
[59:48] るっていう。で、それは1つの味方に過ぎ
[59:51] ないという気です。それから3番目は
[59:55] 例えば住居は宗教なのかとかですね。新
[59:59] 宗教って言われるのはこれ宗教に入るのか
[01:00:00] みたいなそういったこと。それは客観的に
[01:00:03] 決まるのか入れるか入れないか政治的な
[01:00:05] 問題じゃないかっていうこと。これが問題
[01:00:07] になってるってことですね。え、それから
[01:00:09] 4番目としまして、そう宗教士って言い
[01:00:12] ますと政治士とか経済士とかいうものに
[01:00:15] 並んで意のテーマ士っていう風に続けられ
[01:00:17] てるんですが、しかし宗教士をそうやって
[01:00:19] 切り取ってしまいますと、宗教ってのは
[01:00:21] 元々政治とは関係ないものである。で、
[01:00:24] 政治に利用されて宗教は悪い方に動いてっ
[01:00:26] てしまうっていう、そういった考え方、見
[01:00:29] 方っていうのを、ま、あらかじめ
[01:00:30] インプットしてしまうんですね。宗は本質
[01:00:32] 的に良いものだっていう潜入感が入って
[01:00:34] しまうっていう、ま、その問題がこの世界
[01:00:37] の様々な宗教という意味の世界宗教に
[01:00:40] 基づく歴史の語り方にんでるということで
[01:00:43] 批判されてるわけです。
[01:00:45] それでは2番目の方の意味のですね、民族
[01:00:48] 宗教に対する世界宗教。に基づいた場合の
[01:00:51] 世界宗教の語り方にはどんな問題があるか
[01:00:53] 。え、これは宗教の進化論になりまして、
[01:00:56] え、原子宗教、古代宗教から民族宗教、際
[01:00:59] に世界宗教へとどんどんと発展してきます
[01:01:01] よということで、世界宗教の上だ、より
[01:01:05] 進歩した、ま、それは特に倫理化ですね、
[01:01:08] より倫理的な宗教であるというですね、
[01:01:10] そういった評価が加わってくるわけです。
[01:01:13] で、これは先ほど申しましたように世界
[01:01:15] 宗教中寝主義、特に倫理化の果てには
[01:01:18] プロテスタントがあるってことで、それが
[01:01:19] 1番優れた宗教だという方に基づいている
[01:01:22] 。で、多様な宗教と強制するということに
[01:01:25] おいてはちょっと都合の悪い捉え方である
[01:01:28] ということで、え、問題なんですけれども
[01:01:30] 、え、しかし、え、日本ではこの意味での
[01:01:32] 世界宗教の後が特に問題なく今でも使われ
[01:01:37] 、教育の場面でも教えられてるという現実
[01:01:40] があるわけなんです。
[01:01:44] え、それは、それではですね、この世界
[01:01:46] 宗教の、え、概念の問題を反省した上で
[01:01:50] 新しい世界宗教士っていうものは書かれて
[01:01:52] いるのかどうかってことですが、これは
[01:01:55] まだと言っていいかと思います。ま、この
[01:01:57] 世界宗教士の新しい世界宗教士の状況に
[01:02:00] 関しては、ま、こちらのレジメの方で現在
[01:02:03] の分析をちょっとしておきしておりますが
[01:02:05] 、あの、欧米の諸国で民族宗教に対する
[01:02:09] 世界宗教の後ってのはそういうわけで使え
[01:02:11] なくなったんですね。しかしどうも見てみ
[01:02:14] ますとも一般それは隣人のヒンド教やユダ
[01:02:17] 教に対する配慮で使わなくなったんであっ
[01:02:20] ていわゆるポリティカルコネスと言います
[01:02:22] かね。え、その世界宗教主の根本的な問題
[01:02:25] っていうのは実は忘られてじゃないか
[01:02:27] 気遣いてないんじゃないかと思う時あり
[01:02:29] ます。というのは軸の時代論っていうま、
[01:02:33] あの、え、このヤスファスのですね、概念
[01:02:34] 。これはなんか時々投集されてるんですね
[01:02:36] 。これ問題伝えてないように見えます。え
[01:02:39] 、これしかしの時代論がある限りは民族
[01:02:41] 宗教と世界宗教の内で大きな転換があっ
[01:02:43] たっていうですね。それがあのとあの続い
[01:02:47] てるはずなんですね。え、ということでは
[01:02:50] 世界宗教という概念の2つの意味という
[01:02:53] ものを両方克服した新たな世界宗教士と
[01:02:56] いうもの。え、この構築っていうものを
[01:02:59] ですね、日本から訴えてくとこでいけるん
[01:03:01] じゃないか。ま、日本でまだ2つ目の意味
[01:03:04] の世界消と言葉が使えてるってこと。え、
[01:03:07] この時代の言葉が使えてこと。これを逆に
[01:03:09] 逆にとって逆手にとってですね、一方進め
[01:03:12] た世界宗教士が必要だって問題的はできる
[01:03:15] んじゃないかと私は考えております。で、
[01:03:18] 付け加えますと最近の健康としましてた方
[01:03:21] ですねなんとか教、グローバルなんとか教
[01:03:23] っていうこれはあの人気なんです。いい
[01:03:25] 意味で使えてるんです。例えば世界
[01:03:28] キリスト教。え、これはキリスト教も
[01:03:30] ヨーロッパのものじゃなくって、むしろ
[01:03:31] 信者はアジアフリカに多い南米に多いと
[01:03:34] いうで、そういう時に使う言葉です。あ、
[01:03:36] グローバル仏教、仏教もやアジアだけの
[01:03:39] もんじゃないで、今やグローバル浸透と
[01:03:41] 言いましてね、世界で新党のあのファンの
[01:03:43] 人たちが広がってるというこれを
[01:03:45] グローバル浸透と言ってます。こういった
[01:03:47] 意味でのあの世界なんたらグローバルなん
[01:03:50] とかは世界哲学や世界文学と近いような
[01:03:53] ニュアンスがあるかと思います。え、あの
[01:03:55] 特定の地域を中心に発展してきたなんとか
[01:03:57] 教が20世紀後半から世界各地に広がって
[01:04:00] いってその後に影響して浸透し合ってる
[01:04:02] 状況をこれはさしています。で、この研究
[01:04:05] を行えてるんですけど、私の関心は、
[01:04:07] もっぱら世界宗教士の方の書き直しであり
[01:04:10] ますが、それにおいての大きな壁というの
[01:04:14] は最後、え、ですけれども、先ほど言い
[01:04:16] ましたように宗教学はヨーロッパで始まり
[01:04:19] ました。で、その時啓蒙主義の子供だと
[01:04:21] いうことで始まったというのはどういう
[01:04:23] ことかって言いますと、中世まであった
[01:04:25] 進学と宗教学が違うんです。中教は近代的
[01:04:28] な、え、学問、的な学問でありまして、
[01:04:31] それは信仰に基づかないものであるという
[01:04:33] 、ま、そういった事己規定から始まったん
[01:04:35] ですね。え、ということは宗教薬は無宗教
[01:04:38] の観点、持続的な観点から宗教を分析する
[01:04:41] んだということなんですけども、え、
[01:04:43] しかし今宗教枠というのが世界に広がる
[01:04:46] 過程でですね、アジアやアフリカの研究者
[01:04:48] と交流するんですけども、アジアの
[01:04:50] アフリカの研究者は進行に基づく研究と
[01:04:53] いうことが、え、これむしろ多い。そう
[01:04:55] たちが、え、そうしますと、
[01:04:59] ま、こういった無宗教の観点から宗教分析
[01:05:02] するのが客観的だってのは高々ヨーロッパ
[01:05:05] モデルに過ぎず、それを持ってる限りは
[01:05:07] 世界の宗教研究者と連携ができないのか
[01:05:10] どうかっていう、ま、その間をつなげる
[01:05:12] ことが日本の宗教研究者、宗教者にできる
[01:05:14] かどうかっていうこと。これが大きな課題
[01:05:17] となってるというように私見ております。
[01:05:19] あ、このありがとうございました。
[01:05:24] 先生、どうもありがとうございました。
[01:05:26] あの、まずですね、え、あの、パネリスト
[01:05:29] の4人の先生方のこう、ま、あの、お互い
[01:05:32] に、え、ま、あの、ディシプリンが違う、
[01:05:35] え、方々の、え、ご発表を聞いて、その
[01:05:38] アプローチの違いとか、ま、共同の可能性
[01:05:41] とかですね、あの、そういうところを、
[01:05:43] あの、まず考えて、え、いきたいと、え、
[01:05:46] 思いますけれども、1つ、あの、え、沼野
[01:05:51] 先生が、あの、特にあの、世界文学という
[01:05:54] ことで、あの、翻訳ということを強された
[01:05:56] と思うんですが、あの、ま、中島先生の
[01:05:59] あの、え、お話の中でも、え、世界哲学
[01:06:03] っていう時にはその概念の循環っていうの
[01:06:05] が大事なんだとポイントだと。これもあの
[01:06:07] 、翻訳ってことは当然関わると思うんです
[01:06:10] ね。え、ま、あの、羽田先生の、ま、世界
[01:06:13] 史あるいは藤原先生のあの、え、世界宗教
[01:06:16] っていう時にそ、翻訳の問題はそこまで、
[01:06:19] あの、少なくとも1巡目ではあまり大きく
[01:06:22] クローズアップされなかったと思うんです
[01:06:24] けれども、ま、あの、いわゆるこの
[01:06:26] それぞれの学問が西洋中心主義から、ま、
[01:06:29] シフトしていくと、え、その中であの世界
[01:06:33] ということを考える時に、あの、ま、翻訳
[01:06:35] ですとか、あの、ま、教会、フロンティア
[01:06:38] ですね、あと、ま、液晶とか、え、そう
[01:06:41] いったことなんかが、あの、非常に大事に
[01:06:44] なってくると思うんですけれども、え、
[01:06:47] そういう切り口から例えば、あの、どう
[01:06:49] でしょうか?あの、え、世界史ですと、ま
[01:06:52] 、あの、花田先生が新しく提唱、あの、し
[01:06:55] てる新しい世界史の姿っていうのは、あの
[01:06:58] 、システム自体をちょっと新しくこうあの
[01:07:01] 、見方を変えようということで、え、再編
[01:07:04] 、システムの再編という、あの、イメージ
[01:07:06] があの、私は受け取ったんですけれども、
[01:07:09] 例えばこういう翻訳なんてのをミクロで見
[01:07:11] ていったら結構大事なあのテーマではない
[01:07:13] かと思うんですね。え、というようなこと
[01:07:16] で、まずそういった、あの、こう、え、
[01:07:19] 西洋中心主義の解体そこの中であの、今日
[01:07:22] のあの世界、あ、それ各ディプリンを
[01:07:25] 考える中での、ま、教会、え、そういった
[01:07:29] ことについて、あの、まず、え、意見交換
[01:07:32] と言いますか、ま、それぞれちょっと5
[01:07:33] 分ずつぐらい、あの、ま、順番は別に1
[01:07:36] 巡目と、あの、関係なくていいと思います
[01:07:38] が、いかがでしょうか?いいですか?
[01:07:41] じゃあ、私のこれ入ってますね。私の方
[01:07:44] からですけど、あの、1番最初にあの問題
[01:07:46] 的にとで申し上げたように、ま、私自身は
[01:07:48] その日本語でディスカッションする時と
[01:07:50] 外国語でディスカッションする時は同じ
[01:07:52] ようにいかないっていうのを、ま、自分で
[01:07:54] も体験してしますし、これはもう確信して
[01:07:56] いるところです。そういう意味では翻訳
[01:07:58] っていうのはもう当然あの考えないといけ
[01:08:00] ないことで、え、さ、さっきも申し上げた
[01:08:03] ように私が今ここでディスカ、あの、え、
[01:08:06] お話したことはまず日本語ではこういう風
[01:08:09] に言えるんじゃないかっていうことを、え
[01:08:11] 、言ったつもりです。で、じゃあこれを
[01:08:14] そのまま翻訳して英語にしたらどうなるの
[01:08:15] かで、そうするとあの申し上げましたよう
[01:08:19] にそのワールドヒストリーとグローバル
[01:08:20] ヒストリーって言葉からしてまずその
[01:08:23] えっと英語と日本語では全然あのうまく
[01:08:26] あの1対1に対応しないのでまそこが
[01:08:29] 大きな問題になります。ま、それに始まっ
[01:08:31] てその解釈の仕方も随分違っていてですね
[01:08:34] 、あの、あるいは立場が違うとその見る
[01:08:37] その見方が角度が違うので同じその過去の
[01:08:41] 事象であっても、え、異なってるのに解釈
[01:08:44] される。で、これは翻訳とは言えないかも
[01:08:46] しれないけれども、その立場線の問題です
[01:08:49] ね、あの、ここがすごく重要だという風に
[01:08:52] 私は感じているところです。で、しかし
[01:08:55] その立場性は、ま、例えば私と中島先生
[01:08:58] だって立場は違うわけですから、みんな
[01:09:00] それぞれ立場があるわけで、で、あの、
[01:09:03] 立場性を全く無視して共通のその
[01:09:09] 歴史理解とか歴史認識ってのは私は存在し
[01:09:12] ないだろうと思ます。で、ですから世界、
[01:09:16] 私の場合は、あの、世界全体が人、世界
[01:09:19] 全体の人たちはみんな同じ世界史を世界の
[01:09:21] 歴史をそのお、え、想像する、あるいは
[01:09:25] それを理解するってことはありえない
[01:09:27] だろうと思っていて、あの、むしろ様々な
[01:09:30] 人たちが様々な世界の過去の捉え方をする
[01:09:33] わけだけれども、それを相手の立場を理解
[01:09:35] しながら、あの、相互にお互いにその
[01:09:39] 知り合うことが1番大事なんじゃないかと
[01:09:41] いう風に思ってですね。外国の人とやる時
[01:09:44] は特にそうですけど、で、そこの、ま、
[01:09:46] それを翻訳と言うかどうか別として、ま、
[01:09:49] そこの部分で、しかしそう簡単なことでは
[01:09:51] これはないのであって、あの、単に翻訳し
[01:09:54] て通じないですから、日本語のコンテスト
[01:09:57] のままだと通じないこといくらもあるので
[01:09:59] 、で、それをどうするかって問題は、あの
[01:10:01] 、非常に重要だと思います。で、この点は
[01:10:03] だから是非思想とか文学っていう非常に
[01:10:05] その微妙なあの概念とかあるいはあの単語
[01:10:09] を使うところでどんな風にこのあの問題を
[01:10:12] 言葉を超えるるってことを考え
[01:10:13] てらっしゃるのかを是非伺ってみたいなと
[01:10:15] 思っているとこです。
[01:10:20] あ、すいません。発言順を、え、変えた方
[01:10:23] が、え、いいかなっていう気もするんです
[01:10:27] が、ちょっと今非常に刺激をされてるので
[01:10:29] 、あの、お話をさせていただければと思い
[01:10:32] ます。あの、その哲学ではですね、やっぱ
[01:10:35] 世界って概念自体は疑うわけですよね。
[01:10:38] その時なんで疑うのかなと言うと、ま、
[01:10:42] その複数性の問題っていうのにものすごく
[01:10:44] 神経をあの、
[01:10:47] います。やっぱりその全体化するあのもの
[01:10:50] としての世界っていうのがやっぱ何が悪い
[01:10:53] かって言うと複数性に対してこううまく
[01:10:56] 開いていけないっていう問題があるかと
[01:11:00] 思うんですよね。だからそこをどう考える
[01:11:02] か。例えば、ま、今日本語のお話を伺い
[01:11:05] ましたので空海っての考えてみる。
[01:11:08] おそらく空海ってのは当時のあの哲学なり
[01:11:13] 文学なり宗教なりでも本当にまさに
[01:11:16] ワールドクラスの私はあの学者だったとも
[01:11:20] 確信をしてるんですね。で複数の言語を彼
[01:11:23] は使いこなしていますでしょ。で中国も
[01:11:27] そうだし語もそうですね。ま、当時日本語
[01:11:31] があったかどうか別にして、でも複数の
[01:11:33] 言語を生きながらあのような世界的な思想
[01:11:38] ってのを、ま、展開していく。で、彼自身
[01:11:40] はやっぱり世界の複数性っていうのは
[01:11:42] ものすごく敏感だったわけですよね。両海
[01:11:46] マダだったりね。体造会、金剛会、あれ
[01:11:49] 全く別だったわけですね。それを1つにし
[01:11:52] てしまうっていうあの想像力、これは私
[01:11:56] 非常に面白いと思っています。じゃあど、
[01:11:59] 何に向かっていったんだろうっていう時に
[01:12:02] 私が最近考えてるのは例えば世界ってこと
[01:12:05] 言葉をですね、私はあんまりあの捨てる
[01:12:07] べきじゃないと思っていてかと言ってです
[01:12:10] ね、ただ世界って言えばいいじゃない。そ
[01:12:12] 、言えばいいわけじゃなくて、例えば
[01:12:15] ing系をつけてみる。世界ingってし
[01:12:18] てみるね。ワールドにINGをつけてみる
[01:12:20] 。そういう形でひょっとしたら私たちは
[01:12:23] 世界に迎え合うことができるんじゃないか
[01:12:26] 。これ案外このIing私は大事だと思っ
[01:12:29] ていて、あの、私のあの話の中でも例えば
[01:12:32] 普遍っていうお話をちょっと申し上げたか
[01:12:34] と思います。普遍って聞くとなんかなんか
[01:12:37] もったいぶった感じがしますよね。不遍的
[01:12:39] なものがあってなんかそれにちゃんと答え
[01:12:41] なきゃいけないなと思うんですけど、そう
[01:12:44] じゃないんじゃないか。普遍も同じように
[01:12:48] ユニバーサリティというよりは
[01:12:50] ユニバーサライングって形でinをつけて
[01:12:53] いく。そういうこうダイナミックな
[01:12:55] プロセス。しかもそこにある種の世界の
[01:12:59] 複数性ってのはこう入れこ上になってる
[01:13:01] ようななんかそういったあの
[01:13:05] パスペクティブを持つことによって、ま、
[01:13:08] ひょっとすると新しい形で、ま、
[01:13:11] ヒューマリティーズってのが出てくるん
[01:13:13] じゃないか。それは今までの比較研究
[01:13:17] あるいは翻訳研究が差し示しそうとしてい
[01:13:20] て、ちょっともかしくあのいたとこですよ
[01:13:23] ね。それをひょっとしたらうまくこう
[01:13:27] 受け止めてですね、別のこう地兵を示す
[01:13:30] ことができるんじゃないか。そういった
[01:13:33] ことがひょっとすると世界歴史、世界文学
[01:13:38] 、世界宗教、そして世界哲学のようなもの
[01:13:42] には求められてるんじゃないか。この中で
[01:13:44] 実は哲学が1番具合悪いんですよ。なぜか
[01:13:47] と言うと日本文学、日本宗教、日本酒を
[01:13:50] 否定する人って誰もいないんですね。
[01:13:53] ところが日本哲学を否定する人は5万と
[01:13:55] 言います。日本に哲学はない。非常に緊張
[01:13:58] 感のある概念なんですね。哲学は他は本当
[01:14:02] は僕は緊張感があると思ってるんですね。
[01:14:05] 緊張感がないように受け止められがちなん
[01:14:08] です。で、私はそれをもう1回こう
[01:14:12] 呼び起こして緊張感起こしていやいや文学
[01:14:15] の実践なんて実はものすごくこう危ない
[01:14:18] ことで面白いことやってるんだ。なんか
[01:14:21] そんなことをですね、思いたらいいなと
[01:14:24] 思ってます。それは何よりもやはり
[01:14:27] INGK系の世界を考えることによって
[01:14:30] やっぱ複数性に本当に開いていくこれが
[01:14:33] できればな、そんな風に、ま、今日お
[01:14:35] 話しく伺いながら思いました。じゃあ
[01:14:39] やっぱり横並びで次に、え、私から、あの
[01:14:43] 、やっぱり翻訳ということはですね、あの
[01:14:46] 、文学においてはやっぱりその一刻一文学
[01:14:50] の従来の伝統的なディスプンの中で、ま、
[01:14:54] いわば閉じこもって研究をしてる場合、
[01:14:56] 非常にアカデミックに精密な研究をやる
[01:14:59] わけですけども、翻訳ということは
[01:15:01] あんまり意味がないわけです。というのは
[01:15:04] 例えばドイツ文学をま、日本においてです
[01:15:06] けども、え、研究して深めるってのは
[01:15:10] ドイツ語が完璧に読めるようになって
[01:15:12] ドイツ語の文献を読めればいいわけで、
[01:15:14] それがどういう風に他の外国に翻訳される
[01:15:17] かってことは研究の対象外なんですね、
[01:15:20] 本来。で、それが最近やっぱり世界文学的
[01:15:23] な視点が出てきたことによって、むしろ
[01:15:26] 世界運が成立するためには翻訳ってものが
[01:15:29] 前提であると。だから翻訳ってのは今まで
[01:15:33] はどちらかっていうとアカデミックな研究
[01:15:35] では2次的なところに置かれてたわけです
[01:15:38] けど、実はこれこそが本質的なものでは
[01:15:41] ないかということで重要性が非常に増し
[01:15:45] てると思います。それで、あの、強調し
[01:15:48] たいのはですね、あの、ま、文学、語学
[01:15:50] 研究の現在の発展系でトランスション
[01:15:54] スタディズ、翻訳研究と言われる学問が
[01:15:57] 非常に今盛になってますが、やっぱりこれ
[01:15:59] はともするとトランススタディズの中で
[01:16:02] 閉じてしまう傾向があって、翻訳っては
[01:16:05] もっと本質的には人文研究全体歴史も哲学
[01:16:09] も宗教も含む形で様々な形の翻訳という
[01:16:13] ものが今問題になってると思います。です
[01:16:16] から、あの、こういう場でその、この話題
[01:16:19] に出たのは大変重要なことだと思いますが
[01:16:21] 、あの、私も、あの、羽田先生は先ほど
[01:16:24] 言われたことに基本的に非常に賛成で翻訳
[01:16:28] というのは他の言語と関わることですから
[01:16:31] 結局これはですね、他者と関わる形式なん
[01:16:34] ですね。で、つまり、え、自分だけのこと
[01:16:38] をやっていて分からないもの他者と関わる
[01:16:41] ということによって、え、新しいものが
[01:16:44] 開けてくるということで、え、ま、翻訳論
[01:16:47] っていうと技術論になる危険があってです
[01:16:51] ね、こ、これは難しいけどこう訳すと
[01:16:53] うまく訳せますよとかそういう話になって
[01:16:56] しまうんですけど、ま、そういうことでは
[01:16:58] なくて、むしろ翻訳できないものがあると
[01:17:01] すれば何なのかということが重要になって
[01:17:05] くくるんですね。それ、ま、あの、翻訳学
[01:17:07] の上ではよくアンランスレータビリティ、
[01:17:09] 翻訳不可能性ってことを言いますけども、
[01:17:12] どんなにうまく訳せるかじゃなくて、どう
[01:17:14] してうまく訳せないのかってとこ、これは
[01:17:17] あの、あの、文学だけじゃなくて色々な、
[01:17:21] え、人文研究の分野で共通してると思い
[01:17:25] ます。それで、ま、翻訳ってのは、うん、
[01:17:28] 単にあの、ま、横のものを縦にするんでは
[01:17:31] なくて、ある教会を超えていくことで、ま
[01:17:34] 、私は個人的にはですね、超えることに
[01:17:37] よってエネルギーが生ず、知的な
[01:17:40] エネルギーが生ずるという風に、
[01:17:45] え、あの、宗教悪の方では翻訳って言い
[01:17:48] ますとね、この1世紀前に色々と翻訳され
[01:17:51] た、それこそ宗教という言葉はその1番の
[01:17:53] 最もなんですけれども、そういった言葉が
[01:17:56] 、ま、問題になってるって言いますか、
[01:17:58] それらの翻訳後が宗教のリアリティを
[01:18:01] 捕まえるのうまく機能してないっていう
[01:18:03] ことがですね、問題化されるような状況に
[01:18:05] なっているんですね。ということは中島
[01:18:07] 先生がおっしゃったようにまさに今は
[01:18:08] INFをつけてこういう前の翻訳をまた
[01:18:11] 翻訳し直していくっていうですね、ま、
[01:18:13] そういった姿勢がおそらくこの世界、え、
[01:18:15] なんとかを作り直すってとこでは、ま、
[01:18:18] 根本的に必要なんだろうというように思い
[01:18:20] ます。で、あの、また、あの、沼野先生が
[01:18:24] 、ま、訳さないものもあるとおっしゃった
[01:18:25] んですが、これはですね、あの、宗教学で
[01:18:27] はよく体験しますのは日本の宗教に関して
[01:18:30] 、日本の宗教のこの概念は翻訳できなくて
[01:18:33] なかなか分からないでしょうねって言うと
[01:18:35] 、もうそ撃なるんですね。日本特殊正論
[01:18:37] だって言って、日本人とか日本文化論の類
[01:18:40] であるっていうことですね。そう言います
[01:18:41] と非常に批判を受けます。え、そう、その
[01:18:44] 辺の事連マですね。というのは日本の宗教
[01:18:48] に関して、ま、日本で日本人中の研究者で
[01:18:50] あろうと外国人の研究者と同じだと思うん
[01:18:52] ですけれども、それが世界の研究者にとっ
[01:18:54] て価値があると思わせるにはこれだけ日本
[01:18:57] 独特なものがあるんでしょって見せる方が
[01:18:59] 注目してくださいそうなんですけど、それ
[01:19:01] を言うとすぐに日本特殊性論、日本文化論
[01:19:04] のあの今時何やってるんですすかって言わ
[01:19:06] れてしまうっていうですね。そのに何度も
[01:19:08] 合ってきました。その辺の難しさがあり
[01:19:10] ます。
[01:19:15] あの、今の話はとても面白くて、あの、え
[01:19:19] 、歴史でもね、日本の歴史ってのは特殊
[01:19:23] だっていうのがすごくよく言われることな
[01:19:25] んですよ。で、ただし私の意見はだから
[01:19:29] 多分叩かれるのかもしれないんですけども
[01:19:30] 、あの、日本の歴史をその解釈してそれを
[01:19:35] 世界に開くと、ま、世界、世界史の
[01:19:37] メインストリー、メイン、あの、
[01:19:39] メインストリームを変えることになるん
[01:19:41] ですよね。つまり既存の世界の歴史の理解
[01:19:45] の仕方では日本の歴史は理解できないだ逆
[01:19:49] に日本の歴史をその世界にこう見せること
[01:19:51] によってそのま的な物み方を変えてもら
[01:19:55] ないといけないっていう風に持っていき
[01:19:57] たいと思ってるんです。で、それで言うと
[01:19:59] ね、だから、ま、多分これはさっきの小
[01:20:01] 先生もそうなんですけどの話でもそうだっ
[01:20:03] たんですけど、私たちが今日本語でやっ
[01:20:05] てることを外国にするっていうその翻訳の
[01:20:08] 方が多分ものすごく大事で、あの、今まで
[01:20:11] ずっと日本はあの、外からいろんな日本語
[01:20:13] に、あの、外からいろんな知識を日本語に
[01:20:15] することにはたけてきているんだけれども
[01:20:17] 、その、そうしてここでこう、あの、日本
[01:20:20] 語として熟成されてるものをもう一度その
[01:20:22] 海外に出すっていうね、あの、そこの部分
[01:20:25] がやっぱり決定的にかけているところが
[01:20:27] やっぱ問題ではないかかなと思っていて、
[01:20:29] で、これをやらないといけないと思ってる
[01:20:31] んですね。で、しかしそれがかなりやっぱ
[01:20:33] 難しいことは事実で、あの、言やすく行う
[01:20:36] 形でそう簡単ではない。でもそれをできれ
[01:20:41] ばこの東京カジなんかでは外国人の先生方
[01:20:44] も一緒にいる場であのやっていきたいと
[01:20:48] いう風に思っているということですね。
[01:20:51] ちょっと今藤原先生ので思い出した。翻訳
[01:20:55] し直すことってので思い出したんですけど
[01:20:57] も、あの、先々かな、あの、パリにいたん
[01:21:00] です。そん時にですね、あるフランス人の
[01:21:03] 研究者中町民を研究しているんですね。で
[01:21:07] 、中町民ってのは留を、ま、日本語に翻訳
[01:21:11] しましたよね。それをフランス語に翻訳
[01:21:13] する
[01:21:15] っていうことやっていて、ま、なんか反訳
[01:21:19] って言ってたんですね。いや、面白いこと
[01:21:22] をやってるなと思ったんです。で、
[01:21:25] もちろんあの留の原文があるじゃないです
[01:21:27] かね。それを中井調、当時の日本語にした
[01:21:32] わけですから、相当いろんな解釈入れ込ん
[01:21:34] でるわけです。いろんな概念を使い直して
[01:21:37] いる。それをフランスに訳すともちろん
[01:21:40] ルソの元の原文とは全然違うわけですよね
[01:21:44] 。ね。でも原先生おっしゃるようにそこで
[01:21:47] 全く新しい留像ができてしまうわけですね
[01:21:51] 。そうするとルソってのが
[01:21:54] フランス語の中では無意識的になんて言う
[01:21:57] かなこれがカノンであていう風に読まれて
[01:22:00] いたものをはみ出してしまうんですね。
[01:22:03] こういうインパクトがこの反訳っていうの
[01:22:06] にはああるってことを教えていただいて、
[01:22:09] ま、ひょっとすると東京カレッジであの
[01:22:13] 行うことのま、1つにそういうこともある
[01:22:15] のかなと思って今伺っておりました。
[01:22:20] ありがとうございます。あの、あ、はい。え、
[01:22:24] あの、藤浦先生が言った、あの、日本特殊正論っての確かに非常に危険なとこで、文学の世界ではですね、例えば物の哀れって言葉、これは外国語に訳せないんだって自慢する、ま、ちょっと、え、国水主義的な方がいるわけです。でもそういうことなびもせないで全然そんなことないんです。
[01:22:44] これはちゃんと正確に理解して説明すれば
[01:22:47] 、ま、一言では訳せないけどは説明可能な
[01:22:52] んですね。ただ訳せないってことはですね
[01:22:54] 、もっと日常的なこと、もっと言語その
[01:22:58] ものに関わる固有のことのはいっぱいあっ
[01:23:00] てですね、これはやっぱり文学の翻訳に
[01:23:03] 普段携ってる人はもう日常的に感じてる
[01:23:06] ことだと思います。えっと、ま、今のあの
[01:23:09] 出てきたお話の中では、あの、いわゆる
[01:23:13] こう、え、世界の、ま、あの、と言っても
[01:23:18] 何かこう1つのものに終練してくという
[01:23:20] ことでは全然なくって、ま、多様性のため
[01:23:24] に、ま、その、え、翻訳を通じて考えても
[01:23:28] むしろうまく訳せるかではなくて、どこが
[01:23:30] うまく訳せないかって、ま、あの、沼野
[01:23:32] 先生がおっしゃったし、あの、ま、中島
[01:23:34] 先生がおっしゃった、ま、翻訳の翻訳に
[01:23:36] よる、ま、そこにこ色々突きまってくる、
[01:23:38] ま、ノイズとかですよね。それをどういう
[01:23:40] 風にこう解釈するかというか、そこにこう
[01:23:42] 感覚をあの働かせていくか、え、いうよう
[01:23:45] なところからなんというか、こう、あの、
[01:23:47] ま、文化間の、ま、際とか、え、あの、
[01:23:50] 多様性の確保とかっていうところがあの、
[01:23:53] 生まれてくるのかなと思います。あの、ま
[01:23:55] 、日本という場について、ま、あの、羽田
[01:23:57] 先生が、あの、えっと、そのむしろ日本語
[01:24:02] でやられてるあの研究をどう外国語に、ま
[01:24:05] 、翻訳して発信していくかっていうあの
[01:24:07] ことをすでに触れられましたけれども、
[01:24:10] あの、それの延長で、ま、あの、もう1周
[01:24:12] ですね、あの、ま、日本初のというか、
[01:24:15] あの、それをどういう風に考えるかと、
[01:24:17] ちょっと会場から頂いた質問カードなんか
[01:24:20] の議論もちょっと私なりに、あの、
[01:24:22] 噛み砕いて紹介しながら問を立ててみたい
[01:24:24] んですけれども問というかを立ててみたい
[01:24:26] んですが、いわゆるその、ま、世界史、
[01:24:30] 世界文学、世界宗教、世界哲学、ま、それ
[01:24:33] を、ま、可能にしてる今日、え、世界に
[01:24:36] ついての共通経験として、え、20世紀に
[01:24:39] あった2つの世界対戦の意味について、ま
[01:24:41] 、お考えをお聞きしたいなんてことが、
[01:24:43] あの、あったりするんですね。そしてまた
[01:24:46] 、あの、現在進行中の米中貿易戦争は派遣
[01:24:50] 交代につがっていくのでしょうかとかです
[01:24:52] ね。これで言うとその、ま、2050年
[01:24:54] っていうのを、ま、羽田先生最初にご提示
[01:24:57] されましたが、その理由を知りたいと、ま
[01:24:59] 、たまたまキりが良いということなのか、
[01:25:01] それともやっぱり重要な意味があるのかと
[01:25:03] いうあのことですね。ですから、あの、ま
[01:25:05] 、あの、20世紀の、ま、学問、え、それ
[01:25:08] の相対化っていうのが今、あの、ま、課題
[01:25:11] になって、え、今研究者がいろんな栄養を
[01:25:13] 営んでいると思うんですけれども、え、ま
[01:25:15] 、日本のチームもその中で、ま、イ池イケ
[01:25:17] どんどんという風な感じでだんだん
[01:25:19] なくなっていきますね。という風に言っ
[01:25:20] てる人はあのいますけれども、あのだけど
[01:25:23] も例えばあの例えば藤原先生は日本初の
[01:25:26] 世界宗教師なんかあのえっと
[01:25:30] アドバンテージはあるけどそこを差が手に
[01:25:32] とってえまああの考えられるんだとま会場
[01:25:35] からももう少し説明詳しいあの展望をあの
[01:25:38] 聞きたいっていうのもあったりしますので
[01:25:41] その日本
[01:25:44] のま現状例えばま学問を取り巻く状況も
[01:25:47] そんなにあのこうえ、あの、純風とは
[01:25:52] なかなか言えないところもあります。え、
[01:25:54] ひょっとしたらこう、あの、衰退しつつ
[01:25:55] あるかもしれないだけども、なんか場合に
[01:25:57] よっては強みにもなるわけですよね。
[01:26:00] この辺を、ま、あの、え、お話伺えれば、あの、いいかなと思いますが、いかがでしょうか?
[01:26:11] あの、2050
[01:26:13] 年の意味というのは、あの、私の方から説明しないといけないと思うんですけれども、えっと、あの、ま、自分自身の体験からこれは来て
[01:26:21] 1つは来ています。あの30年前、
[01:26:26] 1989年ですかねにその自分がどういう
[01:26:30] 立場だったか、そこで何をやってたかって
[01:26:32] こと思い出してみると、ま、あまりに
[01:26:34] やっぱりその今現代の自分の今やってる
[01:26:37] ことと違ってるわけですね。ま、何かって
[01:26:39] 言うと、まや基本的に価格技術が
[01:26:41] ものすごく進んでるというつまりあの当時
[01:26:45] Eメールはないですし、それから私がその
[01:26:47] ちょっと前、5年ぐらい前ですけど、博士
[01:26:49] 論文書いた時にはあのタイプライターで
[01:26:52] やってるんですね。ですから、その
[01:26:55] パソコンもないとで、その海外に行って
[01:26:59] フランスで博士論文を書いたんですけれど
[01:27:00] も、その時に、えっと、日本との距離って
[01:27:03] のも考えられない、今では考えられない
[01:27:05] ぐらい遠いものだったと思います。で、
[01:27:08] あの、え、電話しかなくてですね、それで
[01:27:12] なきゃ手紙電話がすごい高いそういう状況
[01:27:15] ですね。で、それに比べると今本当にもう
[01:27:18] あのあっという間にいろんなことが世界中
[01:27:21] に伝わっていくし、自分の考えてることも
[01:27:23] どんどんこうパソコンのとこでこう打って
[01:27:25] いくようなで、この技術の進法ってのは
[01:27:28] ものすごいものがあるなってのは、ま、
[01:27:30] 実感として自分で思ってることです。で、
[01:27:32] 同時にそのセンギュラリティっていう言葉
[01:27:35] ご存じだと思いますけど、AIが人間の
[01:27:37] あの頭脳を完全に超えてしまうっていうの
[01:27:40] が1900、え、2045年だていう風に
[01:27:42] 言われているわけですけれども、ま、それ
[01:27:45] が30年ちょっと前ですよね。で、そう
[01:27:48] いうそのこれから30年経った時に自分が
[01:27:51] 体験したのと以上に多分その世界は変わっ
[01:27:56] ているだろうし、そこにおける人間の
[01:27:59] 位置とかあるいは人間そのものが変わっ
[01:28:02] てる可能性も非常に高いとした時に、え、
[01:28:06] そこでもなおかつ人学って必要なのだろう
[01:28:08] かっていうのが、ま、元々の根本的なあの
[01:28:11] 私のあの、え、問題意識なんですね。で、
[01:28:16] 申し上げたようにその言葉で語るのが人文
[01:28:19] 学とした場合にそのコンピューターが
[01:28:21] どんどん進んでってしまってもあの全部
[01:28:26] ITがやってしまうようになった時に人文
[01:28:27] 学っているんだろうか。そのことまで考え
[01:28:30] ないといけないんじゃないかと思うような
[01:28:32] 時に依前として、え、例えば日本文学とか
[01:28:36] あるいはそのフランス氏とか行ってていい
[01:28:38] んだろうかなっていう、ま、ごく単純な
[01:28:41] あの、え、素朴な疑問なんですけど、そう
[01:28:45] いうのを持ったっていうところが最初です
[01:28:47] かね。で、そこら辺でやっぱりでさらに
[01:28:50] その人文学だけじゃなくて文系研究っての
[01:28:54] はいかにそのダメかってのことを散々あの
[01:28:56] あちらこちらでこう言われたりしてまいら
[01:28:58] ないんじゃないかってことは日本だけじゃ
[01:29:00] なくてですねアメリカの人と話してても今
[01:29:03] あの文系の研究ってのは本当に厳しい状況
[01:29:05] になっているあのどんどん予算減らされ
[01:29:07] てるしポストも減らされてるっていう風に
[01:29:08] て言われてる中で本当にこれでいいん
[01:29:11] だろうかと思うわけです。で、あの、もし
[01:29:16] 本当にその記号と数字だけで全部全ての
[01:29:18] ことがこう分かるになってしま、科学が
[01:29:20] 全部こうあの、支配してしまうようになっ
[01:29:23] たとした場合に、ま、事務学のかもしれ
[01:29:26] ないけど、それが本当にいいのかどう
[01:29:27] かってことを考えないといけないなと思っ
[01:29:29] て、で、それで2050年っていうのを、
[01:29:32] ま、一応その、え、なんて言うんですか、
[01:29:36] 目標としてその辺りの人学ってどうなって
[01:29:38] かを考えましょうっていうつもりで、つけ
[01:29:41] たものです。
[01:29:44] じゃ、あの、ご質問いただいたその日本初
[01:29:45] の世界宗教者どのようなものかでしたっけ
[01:29:47] ?え、というところなんですけども、あの
[01:29:50] 、正確にはあの日本初に世界宗教士を作る
[01:29:54] というよりは日本から運動を起こしてくっ
[01:29:56] てます。言いますか、そ、駆け直しを
[01:29:58] するって運動にいろんな世界の人たちを
[01:30:00] 巻き込んでいくっていう日本人だけで作る
[01:30:01] もんじゃないというように思ってるんです
[01:30:02] ね。ということで、そこはまず1つ確認な
[01:30:05] んですけれども、ただその問題定期として
[01:30:07] 日本会できることというのは、あの、日本
[01:30:10] で、え、なぜあの2つ目の意味、民族宗教
[01:30:13] と退避した世界宗教の言葉の意味が強い
[01:30:16] かって言いますとですね、ま、1つは戦前
[01:30:18] に対する反省で、やはり新党というものは
[01:30:21] 問題であったと、民族宗教はどうしても
[01:30:24] ナショナルスの結びつきやすくて大きな
[01:30:26] 問題を起こしてしまうんだってことの反省
[01:30:27] からそれとキリスト教や仏教といった不遍
[01:30:30] 性を持っている宗教を区別した高かったと
[01:30:32] いうのは1戦後の知識になったと思うん
[01:30:34] です。もう1つはですね、この世界宗教と
[01:30:36] 民族宗教を対するという、え、この構図が
[01:30:39] ずっと人気なのは近代っていう時代の説明
[01:30:42] に非常にそれは有効なんです。ま、
[01:30:45] マックスウェバのあのプロテスタンズム人
[01:30:48] と世界、えね、あの資本主義の精神あの
[01:30:51] 描かれている世界の歴史というのは
[01:30:54] 脱つ呪術化脱魔術化を起こしてそれで、え
[01:30:57] 、近代というものが開けてきたんだって
[01:30:59] いうですね、プロテスタントを頂点とする
[01:31:01] ようなそういった歴史観、ま、これで非常
[01:31:03] に納得してる方々が事務社会科学の中に
[01:31:05] 非常に多いということなんです。え、
[01:31:08] しかし私もあのウェバで育ってますので、
[01:31:11] それはあの1つ言える味方だと思ってん
[01:31:13] ですけど、それはあ、ただあくまで1つの
[01:31:16] 見方に過ぎないってことに気づかなくちゃ
[01:31:17] いけないじゃないかってことです。世界の
[01:31:20] 宗教の語り方がそれだけだと困るんですね
[01:31:22] 。それあくまで1つの語り方であって色々
[01:31:25] なあの沼の精お話じゃないですけど
[01:31:27] いろんな見方ができるっていうこと。それ
[01:31:29] があの開き方だと思うんです。他の方にも
[01:31:31] できるだろうということで、ま、そういっ
[01:31:33] たことを思い、あの、ついた時から、あの
[01:31:36] 、ま、あの、授業などでは、え、試み始め
[01:31:39] ているんですけれども、ま、あの、新論で
[01:31:41] もなく、それからなんて言いますかね、
[01:31:43] 宗教学では宗教減少学ってのがあってリア
[01:31:45] という人がいるんですけども、それでも、
[01:31:48] え、なくって何かやるとして何かってこと
[01:31:50] で、今んところ循環論と出てきたんです
[01:31:51] けども、ただ陰に笑われまして循環論です
[01:31:54] かみたいなことでですね、まだちょっとお
[01:31:56] 披めできるような状態ではないんですが、
[01:31:59] ま、そうですね、あ
[01:32:00] あの、ま、これ前の、え、あの、近代化論の
[01:32:04] 1
[01:32:04] つの流れ、あの、バリエーションとしての世界消語り方以外に語り方あるのかっていうことを問題記していくのが
[01:32:11] 1
[01:32:11] つあり得るというようなもので考えています。
[01:32:16] あの、大きな問んですけど、ちょっと私も
[01:32:19] そうですね、あの、簡単に2つのことを、
[01:32:23] え、1つは人文学ってこのままだともう
[01:32:25] いらなくなっちゃうんじゃないかという
[01:32:27] ような見通しについてと、それから日本初
[01:32:29] の、え、文学研究って何ができんのかって
[01:32:32] ことでちょっと両方ごく簡単にお話しし
[01:32:36] ます。あの、あの、私やっぱりね、文学
[01:32:39] やってと思うのは歴史や哲学や宗教の方が
[01:32:42] はかに偉くてですね、これはこの研究を
[01:32:45] することは絶対に必要で、これはいらな
[01:32:47] いって人はまずいないと思うんですけど、
[01:32:49] 文学って役に立たないとかこんなものを
[01:32:52] やってて、特に、ま、好きで読んでれば
[01:32:54] いいのであって何のために研究すんだって
[01:32:56] 、え、多分1番風やり強いんじゃないかと
[01:33:00] 思います。1番役に立たないもので、それ
[01:33:03] で実際ですね、あまり悲観的なこと言って
[01:33:05] は良くないんですが、大学の文学部などを
[01:33:08] 見てても東大だけではありませんが、伝統
[01:33:11] 的な、ま、何々文学、何々文学という特に
[01:33:14] 外国文学系はですね、え、進学者も非常に
[01:33:18] 、ま、減る傾向が強くてですね、このまま
[01:33:21] 言ったら2050年にはもうそういう学科
[01:33:24] は存在してない可能性が、え、ありますね
[01:33:27] 。ただ英語だけは人気があるので英文学
[01:33:30] やりたいんじゃなくて英語をやりたいって
[01:33:32] 人がきますから英文化は安泰ではないかと
[01:33:35] 思いますけども、え、それでですから、
[01:33:37] あの危機感ってのは私は非常に強いんです
[01:33:40] が、やはりそれはですね、文学ってのは
[01:33:44] 結局人間の言語文化に関する1番緻密で
[01:33:47] 1番細かく精密なことを扱う学問ですから
[01:33:51] 、ま、学問というか芸術でもあるんです
[01:33:54] けど、これはやっぱり人文学の基そうだと
[01:33:57] いう風に思ってます。ただそのいいところ
[01:34:00] をアピールする努力がちょっとここん
[01:34:02] ところをかけてきてそれぞれが、え、
[01:34:05] ディスプンが何々文学、何々文学っていう
[01:34:08] のはうちにこもってしまうとだんだんうん
[01:34:11] 、なんて言いますかね、そん中でちょっと
[01:34:13] 元気がなくなってしまうということで
[01:34:15] やっぱりもうちょっとえっと、根を超えて
[01:34:18] 開いていって世界運っていう風のいい視点
[01:34:22] で文学研究ってのは何ができるのかって
[01:34:25] ことを見ていくことによって、え、この分
[01:34:28] の未来も開けるのではないかという風に
[01:34:31] 思います。で、日本初の方なんですけども
[01:34:34] 、ま、そういう風にやってくと日本の専門
[01:34:37] 家が外国の専門家と共同して色々なことが
[01:34:41] 、え、もっとできるようになるとですね、
[01:34:43] え、新しい局面が開けてくると思います。
[01:34:46] 例えば20世紀通してですね、文学表理論
[01:34:50] ってのは非常に大きな発展をしても様々な
[01:34:54] 何々泉構造主義とかポスト構造主義とか
[01:34:57] いろんなものが出てきたわけですが、残念
[01:35:00] なことにこれ99.9%
[01:35:02] は欧米のもので日本初の世界に流通する
[01:35:05] 文学理論ってほとんどないです。で、
[01:35:07] そんなバカなことはないわけですね。日本
[01:35:09] でこれだけ文学研究、人文学の、え、蓄積
[01:35:13] があるのに。で、やっぱりそれは日本の
[01:35:17] 研究者が日本人として日本語を読むという
[01:35:20] ことを通じて得られた知見ってのを
[01:35:22] やっぱり世界に向かって投げかけていく
[01:35:25] ような場が必要だと思いますし、それは
[01:35:28] できると思います。
[01:35:32] えっとフロアからご質問で、ま、2つの
[01:35:34] 世界大戦、それから現在の、ま、米中の
[01:35:38] 派遣の問題ですね。え、ま、世界ってのは
[01:35:41] 関わってるんじゃないかっていうご質問
[01:35:43] だったかと思います。で、ま、やっぱ20
[01:35:45] 世紀の世界対戦って非常にこれは大きな
[01:35:48] インパクトがあったわけですよね。で、
[01:35:51] 日本の側でもですね、それを、ま、主想的
[01:35:54] に引き受けるていうことで、例えば京都の
[01:35:57] 中で世界史の哲学のようなことを、ま、
[01:36:01] やったわけですね。ま、これはヘーゲルを
[01:36:03] 使いながらでも日本から問い直すってこと
[01:36:06] をやって、ま、見事に失敗をしたわけです
[01:36:09] 。だから世界史ってのは実はまああの哲学
[01:36:13] と結びつくとですね、ろなことにならな
[01:36:15] いってことはあの20世紀の前半の経験で
[01:36:19] あるんですがでもそれを踏まえた上で
[01:36:22] やっぱりもう1回世界っていうのを
[01:36:24] 考え直さなきゃいけないんじゃないかって
[01:36:26] いうところに我々はやっぱり来ていると
[01:36:28] 思うんですよね。ま、依前として私は2つ
[01:36:31] の世界大戦の意味っていうのを十分
[01:36:34] 組み取ってるっていう風にはま思っており
[01:36:37] ません。でもそのためそれを考えるための
[01:36:41] 世界っていう概念これがまだやっぱ十分さ
[01:36:44] れていないんじゃないかっていう気がして
[01:36:46] います。それからこれ羽田先生ご指摘に、
[01:36:51] ま、これだけあのテクノロジーっていうの
[01:36:53] が発達した中で、まあ人文学は
[01:36:57] 実際いらないんじゃないか。
[01:36:59] ま、沼野先生はまだ哲学はまだね、その中では有要性があるんじゃないかとおっしゃいましたが、ま、まあ無要性争いをしてもですね、仕方がないので、ま、どっちがより無要かて言っても、ま、しょうがないと私は思うんですが、
[01:37:15] あの、最近、ま、その科学、ま、ハードサエンス系の方々とよく議論させていただく機会が、ま、増えてきたわけですよね。
[01:37:25] そうするとかってですね、私ハードサス系
[01:37:27] の人たちが人間とは何かってことを、ま、
[01:37:31] よくお考えになっているんですよ。ま、
[01:37:33] 人間がやっぱりよくわからないし、それが
[01:37:36] 改めてあのテーマになってきているところ
[01:37:40] は人文学はですね、50年前にミシェル
[01:37:42] 風港が人間という概念をね、もう消えそう
[01:37:46] だっていう風に言ったわけですよね。こう
[01:37:50] いうあの、ま、啓蒙の時代、古典主義の
[01:37:53] 時代の人間概念じゃないものを我々は考え
[01:37:56] なきゃいけないとこに多分来てるだろうと
[01:37:59] 言ってるんですが、ひょっとすると我々は
[01:38:01] まだ人間という概念をちゃんとこう
[01:38:04] 考え抜いていないのではないか。例えば
[01:38:07] AIが発達してきて、じゃあ意識っていう
[01:38:11] のをね、AIは持つんですか、持たないん
[01:38:13] ですかって、そういう議論がありますよね
[01:38:15] 。でもその場合の意識と言ってもですね、
[01:38:18] 例えばこの私
[01:38:20] っていうある種の得意性が持っている意識
[01:38:23] と我々1人1人が持っているカウント
[01:38:26] できるような意識の関係って何かっていう
[01:38:28] ことをじゃあハートサインスの人たちが
[01:38:31] どうやって考えられるかって案外難しいね
[01:38:34] 。このなんていうか
[01:38:38] 定しの意識とか定しの私みたいなものそれ
[01:38:43] と不定監視のそれの関係を考えられるもの
[01:38:47] は私は多分人文学のようなものじゃないか
[01:38:51] と思っているんです。とはいえ学ってのは
[01:38:54] 今これだけ専門文化してきているわけです
[01:38:57] よね。哲学だってもう本当に細かい議論
[01:39:01] しかしてないってのは現実なんです。で、
[01:39:03] 私が今提案してるのは、そういうその自分
[01:39:07] をもう1回例えば
[01:39:09] リベラルアーツのようなとこに戻して
[01:39:12] リベラルアーツとしての哲学とかね、で、
[01:39:15] リベラルーツとしての
[01:39:17] 歴史学とかそういう形で捉え直していく
[01:39:21] 努力がやっぱり必要なんだろうと思ってい
[01:39:24] ます。で、ま、羽田先生を実は委員長と
[01:39:27] する東アジア芸門商員ってのはそれを
[01:39:29] やろうとしてるんですね。ああ、そういう
[01:39:32] 試みがもうちょっとできればいいかなと。
[01:39:36] そうなればおノすとですね、日本初のって
[01:39:39] いうことの意味もやっぱり私は明らかに
[01:39:42] なってくると思うんですよ。別に日本の
[01:39:44] 固有性とか特殊性をマーケットに出して
[01:39:47] ですね、まあ優れてるでしょ。こんなこと
[01:39:50] をいくら行ったとこで、まあしょうがない
[01:39:53] わけですよね。それは通用しない。例えば
[01:39:57] ロバートベラーの名前を出していただき
[01:39:59] ましたが、ベラーを裁判年東大に実はお
[01:40:01] 見合いになったわけですね。で、我々に
[01:40:04] おっしゃるのは、やっぱりその不遍性に
[01:40:06] 向かっていくことを日本は諦めないで
[01:40:09] 欲しいと。その姿が本当に世界に見え
[01:40:12] にくくなっている。でもそれをやること
[01:40:14] 自体が日本初の議論を世界に換期すること
[01:40:18] なんだ。こういうことをおっしゃっている
[01:40:21] 。で、ベラー自身が、ま、タルクット
[01:40:24] パーソンズの弟子でもありますから、
[01:40:26] ウェーバーの議論とかね、あれ日本では
[01:40:28] マレアマさんの名だったわけですよね。で
[01:40:32] 、いろんなその厳選から着走を得て、まあ
[01:40:36] 日本の宗教っていうものを繰り返し考えて
[01:40:40] セビルジョン、市民宗教っていう想的な
[01:40:42] 概念を最低したわけですよね。それ今や
[01:40:46] 例えば中国で授況復興なんかある時になん
[01:40:48] か使われたりするようになる。
[01:40:50] 非常に面白いことが起きている。そういうことが日本初発で私はお望ずと起きてくるだろうと、ま、そんな風に思っております。ありがとうございます。
[01:40:59] あの、え、今その人文学の、ま、不要論と
[01:41:05] 、ま、用語みたいな話もありまして、それ
[01:41:07] で、ま、会場からのあの質問カードの
[01:41:10] テーマともあの関わるので、えっと、いく
[01:41:13] つか紹介しつつ質問ということになるん
[01:41:15] ですが、え、ま、今回はあの歴史学、哲学
[01:41:19] 、文学、宗教学っていうこと、え、でした
[01:41:22] けれども、え、ま、文系、社会問題だけの
[01:41:26] 世界を論じていないかといてるってような
[01:41:29] ご意見もあったりですね。あと、ま、世界
[01:41:32] とは何かの研究には物理学、生物学といっ
[01:41:37] た科学の成果も取り入れる必要があると
[01:41:40] 思いますが、いかがでしょうか?え、
[01:41:43] あるいはあのあえて世界という枠組が必要
[01:41:46] なんでしょうか?え、なくても良いのでは
[01:41:48] ないでしょうかとかですね。そういうあの
[01:41:50] 、え、なんかあの、え、ご意見もあったり
[01:41:53] とかですね。ま、あと、ま、地球、え、
[01:41:56] 市民、え、地球、地球民、え、というあの
[01:42:01] 考え方は賛成ですと。え、その背景にある
[01:42:04] ホモサピエンスの進化系統気候変動、感染
[01:42:09] 症などの自然科学の、え、ま、が、え、大
[01:42:14] です。え、今回のパネリストになぜ自然
[01:42:16] 科学系の人が入っていないのかというよう
[01:42:18] なこと。ま、ちょっとあの、外材的かも
[01:42:19] しれませんが、でもやはり何かしら、あの
[01:42:21] 、先生方からこう意見伺えればと思います
[01:42:24] けども、
[01:42:27] あの、自然科学が入っていないというのは
[01:42:28] まずとにかくあの、さっき先生方
[01:42:32] おっしゃってるようにその、え、いわゆる
[01:42:35] 人学というものの中だけでも本当になんて
[01:42:39] いうか共通のあの認識とかあの議論する
[01:42:43] プラットフォームがうまく作れていない
[01:42:46] 状況なわけで、そういう時にの自然科学の
[01:42:48] 生が入ってきて、そこであの議論し始める
[01:42:51] ともう収集がつかんなくなるんじゃないか
[01:42:53] という気があしています。したということ
[01:42:56] ですね。で、あの、何よりもまずその共通
[01:42:59] の基盤、共通議論ができる共通のそのお
[01:43:02] 互いの情報を交換して、で、それから次何
[01:43:06] あるかってこと考えましょうという意味で
[01:43:08] 、今日は本当に1番最初の基礎的なあの、
[01:43:11] え、パネルなので、あの、いきなりここに
[01:43:14] その利かけの人に来ていただくってのは
[01:43:17] ちょっとあの、私としては考えなかったと
[01:43:19] いうことです。で、あの、ま、それに関連
[01:43:22] しますけれども、そのえさ、さっきから何
[01:43:25] とか申し上げてるようにその利か系、理系
[01:43:28] の方が入った時に多分議論は相当変わると
[01:43:31] 思うんですね。あの、理系の方にもその場
[01:43:34] では多分あの言葉で喋っていただ喋って
[01:43:38] いただくことになりますから、あのこちら
[01:43:40] のあの土俵に引き込んで話をすることに
[01:43:42] なるんだろうと思うんですけれどもそれで
[01:43:44] もやはりあの今ここで話されてることと
[01:43:47] その理系の人が入った時にその世界
[01:43:50] あるいは宇宙ってものをどう考えるかって
[01:43:52] ことの議論は相当違ってくると思うので
[01:43:55] それはま、次の楽しみにしておいて
[01:43:57] いただきたいと思います。同時にあの、え
[01:44:01] 、さっきから何度か申し上げてますけど、
[01:44:03] これは日本語で閉じる議論でなくて、外国
[01:44:05] の人と一緒にやっぱり議論しないといけ
[01:44:07] ないという風に思ってることでもあるんだ
[01:44:08] 。とにかく世界という、ま、世界がいら
[01:44:10] ないかどうか別にして世界ということ
[01:44:12] 考える時日本だけでやったて仕方がない
[01:44:13] わけですから外交の人と話をする時にその
[01:44:16] またこういう機会を作ってあの例えば歴史
[01:44:20] でやるそれから哲学でやるとかなことを
[01:44:23] やりさらにそこにあの共通の
[01:44:26] プラットフォームを作るためのあの外国人
[01:44:28] も入れたようなこういう会をやってそこに
[01:44:30] 理系の人も入ってくるってこうになったら
[01:44:32] これはすごいことでしょうね。しかし少し
[01:44:35] 時間かかるかもしれないと思います。
[01:44:37] でもちょうどあの今理系の大変あの立派な先生方もいらっしゃってるので、今後はあの是非仲間に引きずり込んで一緒にやっていきたいと思いますので是非よろしくお願いしたいと思います。
[01:44:48] あの、えっと、ま、リ科系の先生と議論
[01:44:51] するってのはもちろん大事なことだと思い
[01:44:53] ますけど、私はあの、世界はいらないん
[01:44:55] じゃないかってことについて一言を
[01:44:57] ちょっとコメントしますけども、あの、
[01:44:59] そういう考えはもちろんあり得るわけで、
[01:45:02] あの、文学やっててもですね、例えば、
[01:45:04] えっと、フランスだった、私はフランスだ
[01:45:08] から、あの、例えばバラザコを読むとか
[01:45:10] ですね。私はロシアだからドスト機を読む
[01:45:13] とでもあの現事物語は読まないとかそう
[01:45:17] いうことって本当ありえないわけで文学と
[01:45:19] いうのはまば文化や言語を超えて普遍的な
[01:45:23] 価値があってえ誰が読んでもそれは
[01:45:26] 素晴らしいと思うものであればですね何々
[01:45:29] 国の何々語で考えたものだから読むっての
[01:45:32] は本当おかしいわけですね。ですから何々
[01:45:35] 文学っていうこと自体が本当は不要であっ
[01:45:38] て文学って言えばいいわけです。で、世界
[01:45:41] 文学っていう時の世界も本当はいらないか
[01:45:43] もしれないっていうのは議論としては私は
[01:45:46] あり得ると思うんですね。というのは
[01:45:48] やっぱり、ま、あの、学問的には文学研究
[01:45:51] も何々文学、何々文学、え、さらに、え、
[01:45:55] あの、研究が細分化していくとドスト
[01:45:58] スキーにおける内という小説の内について
[01:46:01] の研究とがだんだんそういう風になってて
[01:46:03] 、文学そのものが見えなく、文学を研究
[01:46:07] すればするほど文学そのものが見えなく
[01:46:09] なってしまうって非常に困った事態になる
[01:46:13] 可能性あります。ですから、そういうこと
[01:46:15] は常に意識して文学そのもののってものに
[01:46:18] 向き合う場を確保するってことは大事だと
[01:46:20] 思うんですけど、世界というのはですね、
[01:46:23] 一応今言っているのはやっぱり現実の中で
[01:46:27] 人間は生きているのでその現実で与えられ
[01:46:29] たコンテクストが1番大きなものが世界で
[01:46:33] あって、え、その場で考えるということだ
[01:46:37] と思います。で、あの、私実はSFが好き
[01:46:40] なもんですからね。あの、宇宙人が文学
[01:46:44] 書いたらこれどうなんのかって、それと
[01:46:46] 世界文学じゃなくて宇宙文学をやんなきゃ
[01:46:48] いけないのかって話になるんですけど、ま
[01:46:51] 、ちょっと、え、ちょっとバカメな質問で
[01:46:54] 疑問ですけど、えっと、ちょっとそれに
[01:46:57] ついては今お答えはしませんけど、ま、
[01:46:59] ただSFではですね、もうあの、さっき
[01:47:01] AIの話もありましたけど、
[01:47:03] コンピューターが文学を書くということは
[01:47:06] 現実身を帯びてきてます。
[01:47:08] そうするとコンピューターによって抱えた文学を研究するってのはどういうことになるのかとかですね、ま、色々とあの考えの枠みを将来変えなきゃいけないことは色々あるかもしれません。
[01:47:20] 私あのまだ世界を外した場合どうなるかってことは考えていないんですけれどもキリスト教とか仏教とかそういったな教の枠を外して宗教師を語ることができるかってちょっと考えたことがあるんです。
[01:47:32] つまり先ほど言いましたようにその何々
[01:47:35] 宗教泉むって形で聞い取ることの問題性が
[01:47:37] あるのであれば羽田先生がおかきになろう
[01:47:41] としているせ新しい世界新しい歴史って
[01:47:44] いうこれまたちょっと問題のある表現なん
[01:47:46] ですが新しい世界ないグローバル
[01:47:48] ヒストリーの中でちょこちょこと宗教が出
[01:47:50] てくる方が果たして宗教士にとっては適切
[01:47:53] な語り方なのかってちょっと考えたんです
[01:47:55] けれどもその場合の
[01:47:59] この塊りってな何なんでしょうかっての
[01:48:02] またちょっと疑問に持ってきて、それは
[01:48:04] 政治師でもなけば経済士でもないわけです
[01:48:06] よね。その集合は何なのかなというのが
[01:48:09] ちょっと分からなくなったとこで、これは
[01:48:11] ご教示いただければ大変幸いなもんです
[01:48:13] けれども、あのそれとあともう1つ宗教学
[01:48:16] からやはりどうしても1つあのお尋ねして
[01:48:19] おきたいのは先ほどちょっと言いました、
[01:48:21] ま、この19世紀以降特にま、近代のこの
[01:48:25] 事務社会計の学問が前提としてきたある的
[01:48:28] な前提ですね。あの、先ほどあの、中島
[01:48:32] 先生が、え、世界で哲学会議を東京に承知
[01:48:36] しようとしたら激沈したとおっしゃってい
[01:48:38] たのは、あれは代わりに決まったメロボル
[01:48:40] でしたっけ?え、あの、哲学者、世界の
[01:48:43] 哲学者がコアラに会いたいと思ったからな
[01:48:45] のか、それともこの世界哲学の構想が不評
[01:48:48] だったのかってことをお聞きしたいんです
[01:48:49] ね。ま、世界哲学みたいなの広げますと、
[01:48:51] 私の想像ではヨーロッパの学者から批判が
[01:48:54] 来るとしたら進学に戻ってしまう。宗教が
[01:48:57] 勝った哲学が入ってきてしまって、あの、
[01:49:00] 哲学がこれまで、あの、それでは理性的で
[01:49:03] はないって言ってきたもの、つまり進行の
[01:49:05] 地の対立があったわけですけど、その進行
[01:49:06] に戻、引き戻されてしまうったとこに警戒
[01:49:09] するんじゃないかと思うんです。で、
[01:49:10] アジアに哲学持っていくと、やはりその
[01:49:12] 応用哲学的なもので、非常に宗教が、宗教
[01:49:15] 的なあの哲学っていうものが広がっていく
[01:49:17] 。それを嫌がってるんじゃないかと思うん
[01:49:19] です。で、それをヨーロッパの研究者たち
[01:49:21] は、哲学者たちはレベルが下がると思っ
[01:49:23] てる。
[01:49:23] それにどうやって対抗でいくのかってことを是非お尋ねしたいと思います。
[01:49:29] はい。ま、メルボルンに決まったのは大人の事情がどうも大きかったようですね。ま、ちょっとここでは申し上げられませんけども、あの、ま、おっしゃるような世続の問題。
[01:49:41] これは実は伊達伊達先生の本当のご専門な
[01:49:44] ので今日は司会をしていただきましたが
[01:49:47] やっぱりその世ってのは今どう考えるのか
[01:49:49] 特に今ポストセキュラーと言われています
[01:49:52] から宗教学も違うフェーズになんか入って
[01:49:55] きたかなという気がましております。ま、
[01:49:58] そん中でもう一度やっぱ世界を問い直すっ
[01:50:01] てのは大事なわけですよね。で、世界いら
[01:50:03] ないんじゃないか。私も今日ご紹介した
[01:50:06] ようにいやいや全体化する芸人としての
[01:50:09] 世界概念ってのはやっぱり用した方がい
[01:50:11] いっていう議論は当然哲学からは可能な
[01:50:13] わけですよ。で、ただまそれを承知した上
[01:50:16] で私は例えば世界にしてもね、哲学にして
[01:50:20] もなんかしっくり来ない違和感がある。
[01:50:24] こういう概念として残しといた方がいいと
[01:50:27] 思ってるんです。だから世界史っていうの
[01:50:30] を安心して受け止めてはいけない。世界
[01:50:34] 文学を安心して受け止めてはいけない。
[01:50:36] 世界史宗権もそうです。世界哲学ってのは
[01:50:39] もう本当に安心できないじゃないですか。
[01:50:41] そこに私は思考が始まるチャンスがあると
[01:50:44] 思ってんですね。同じように日本だって
[01:50:47] そうですよ。これをしっくりしたものとし
[01:50:49] て受け止めてはいけない。日本哲学ってま
[01:50:53] 、本当に多くの人に批判されるんですね。
[01:50:56] そ、日本は思想じゃないのってやっぱ言わ
[01:50:58] れるわけですよ。でもそう日本と哲学を
[01:51:01] 結びつけることによって日本というの概念
[01:51:04] をやっぱり揺さぶる。これは絶対に私は
[01:51:07] 必要だと思っています。それから、ま、
[01:51:09] 理系の方々との対話ですけど、私幸いに
[01:51:13] あのかぶりIPMUの先生方とあの物理学
[01:51:17] とま、哲学の対話っていうのをあのやらせ
[01:51:21] ていただいて、ま、色々衝撃を受けるわけ
[01:51:24] ですよね。やっぱり現代物理学ってのは
[01:51:28] その量子力学の後ですから、もう考えてる
[01:51:32] 世界が奇妙すぎてですね、私のような単純
[01:51:38] な頭では実は全然ついていけないわけです
[01:51:40] 。で、今大先生があのカブリーの責任者
[01:51:44] ですが、重力を入れた途端にね、この世界
[01:51:48] ってのは対象性が破れていくんだことを
[01:51:51] 軽くおっしゃるわけですよ。何を言ってる
[01:51:53] んだね。
[01:51:56] ね。で、面白いじゃないですか。で、伺っ
[01:51:59] たらやっぱ重力ってこと自体が何かも
[01:52:01] 分かってないっておっしゃるんですよ。私
[01:52:03] は物理学者みんな帝国主義者だと思って
[01:52:06] ましたから、とんでもない悪い奴らだと
[01:52:08] 思っていたら案外皆さん謙虚なんですね。
[01:52:11] やっぱね、分からない。本当におっしゃる
[01:52:13] 。村山先生もそうでした。わかんないって
[01:52:16] おっしゃるんですよ。で、その態度に
[01:52:19] やっぱ学びながらやっぱ対応していくと、
[01:52:22] ま、例えばですね、マルチバースなんてね
[01:52:24] 、複数宇宙論ともないことを考えてるわけ
[01:52:28] ですよ。世界が複数あるの?いや、宇宙が
[01:52:31] 複数あるなんてことだって私は思うわけ
[01:52:34] ですね。その人はマッドサイエンティスト
[01:52:36] かなって私一瞬最初思ってたんですけど、
[01:52:38] どうもそうではないらしいとかそこで私は
[01:52:42] さっき複数性の問題を申し上げましたけど
[01:52:44] 、対話が可能なわけですよね。あと例えば
[01:52:48] ライプニッツなんかが可能世界論で考えて
[01:52:50] いたような議論でもそれは中国の
[01:52:52] インパクトを受けてライフニスは考えた
[01:52:55] 世界の概念の循環でしょ。そこで初めて
[01:52:58] そういう複数世界の議論が出てきた。
[01:53:01] しかも今宇宙物理ではあれですね。人間
[01:53:04] 原理なとかいうわけのわからないことを
[01:53:06] おっしゃっていて、あまりにも宇宙がよく
[01:53:08] できすぎているね。人間原理じゃないの?
[01:53:13] こっちは心配になるわけですよ。大丈夫
[01:53:15] ですか?そんなことおっしゃって。でも
[01:53:18] やっぱりなんか説明のつかないことが
[01:53:20] たくさんあって、やっぱり宇宙を相手に
[01:53:22] する時にも違和感をたくさん持っ
[01:53:24] てらっしゃる。これは数式とか理論で説明
[01:53:29] しきれない何か常があるっていうことを
[01:53:33] お考えになってるわけですね。私は
[01:53:35] やっぱりヒューマニティズってのはまさに
[01:53:37] この上に関わる学問だていうに思ってるの
[01:53:40] で、ま、ここで対応しない理由はない。
[01:53:44] そう思っております。
[01:53:47] どうもありがとうございます。えっと、
[01:53:49] 本当はまだまだあの議論がですね、あの、
[01:53:53] え、テーマをまた提示してご意見いただき
[01:53:56] たいところなんですけど、すいません。
[01:53:58] あの、司会の、ま、不際で、あの、もう
[01:54:00] ちょっと、あの、上手に、あの、さければ
[01:54:02] 良かったという面もあるんですけれども、
[01:54:04] あの、時間が来てしまいましたので、え、
[01:54:07] ま、本日のところは、あの、えっと、ま、
[01:54:10] 以上ということで、あの、東京カレジ
[01:54:13] シンポジウム世界とは何かを、あの、終了
[01:54:15] させていただきたいと思います。
[01:54:17] え、どうもご成聴ありがとうございました。
